池の鯉〔8078〕2025/05/28

2025年5月28日(水)晴れ!
良いお天気やねー。ただ、高知はお昼頃からは曇って、明日には雨の予報。もう6月間近で、梅雨入りも近いのでしょうか。♪時の流れに身を任せ~
ここは升形。高知市升形の織田歯科医院。幾度か紹介しましたねー。高知で最初の歯医者さんで、最初の院長さんは幕末のイケメン写真でも有名。
初代院長織田信福さんが亡くなる直前、大正14年に建てられた洋館は、近代の名建築としても有名。有名がたくさんの織田歯科医院。その洋館、高知では最古の時期の鉄筋コンクリートづくり。設計者は不明やけど、当時多かった洒落た建築となっています。
昭和20年7月の高知大空襲でも焼けなかった、ということで、高知市街地では珍しい戦前から残る名建築となっておる訳だ。
僕の伯母は、その空襲当時、既に3代目院長織田桂輔さんに嫁いでおりました。歯科診療はその洋館で行なっており、自宅はその横の、古くからある木造住宅。実はその木造住宅も空襲で焼けておらず、この新しい診療施設ができるまでは、その場所に残ってました。幾度かお邪魔したことのある、風格ある日本建築。
その日本建築の家屋には、池がありました。建物は取り壊されたけど、池は、今も同じ場所にあります。この、診療所の横の池が、そう。この右手の赤レンガ塀については、以前、詳しく考察しましたので、ぜひぜひお読みください。
で、池。この池にはたくさんの鯉が泳いでいます。昔から、織田さんちの池には、鯉。
高知大空襲のとき、この家に嫁いだばかりであった今は亡き伯母は、B29から降ってくる夥しい焼夷弾によって燃え上がりそうになるのを、一生懸命消火した、と言うておりました。もし消火作業をしてなかったら、少なくとも木造住居の方は焼けてただろう、と。
焼夷弾の跡は、今も洋館の方に残っており、貴重な貴重な戦争の痕跡となっている話は、以前にも書きました。
で、伯母の話では、池にも焼夷弾が落ちて池の水がお湯になり、当時も泳いでいたたくさんの鯉は、茹で上がってしまったとのこと。
そんな歴史も知らず、令和の鯉たちは、朝から悠々と泳いでおりました。