あぞうのの沢マン、あぞのの沢マン〔8072〕2025/05/22

2025年5月22日(木)小雨
まだ、少し小雨模様の高知。この雨はお昼くらいに上がって、晴れる予報になってます。で、最高気温はなんと、30℃。この湿度で30℃となると、これは厳しい。熱中症には気をつけましょう。幾度も書くけど、熱中症予防には牛乳ですきんね。あんぱん食べて牛乳飲んで、暑い夏を乗り切ろう!
そんな訳で、ここは沢マン。何度もご紹介してきた、その業界では有名な(どの業界か知らんけど)沢田マンション。僕が小学校5年生くらいのときにできたマンション。その時すでに、屋上にクレーンがあったり卓球台があったりして、不思議な様相ではあったけど、半世紀の間に増築や改築が繰り返されてとても不思議なマンションになりました。なので、現在の入居者は、ちょっとアートな人が多いみたいですね。
特徴的なのが、この大きな発動機。このマンションを自力で建築した沢田さんは発動機マニアでもあったようで、40台の発動機を稼働させて製材したり水を汲み上げたりして、このマンションを建てたとのこと。
まだ完成したばかりの頃、僕はこの沢マンを訪れてます。当時のこの界隈は、一面の田んぼ。こんな感じ。山裾を走る道に、住宅が少し並んでいるばかりの、のどかなのどかな田園地帯。
地名でいうと、高知市薊野。最近「あぞの」と呼ばれることが多いけど、「あぞうの」が正式みたいですね。薊野と書いて、あぞうの。
古くは「莇野」という文字が当てられ、「あざみの」とだったとのこと。いつしか「あざみの」が転じて「あぞうの」になった訳だ。現在は、僕の体感では「あぞの」と呼ぶ方が多いと感じてるので、将来は「あぞの」が正式になったりするのかも、知れません。言葉って変化するものだ、という好例だと思ったりしました。
織豊期の地検帳に「薊野村」とあるので、大昔から「あざみの」であったことがわかります。地名は、野アザミの里であったことに因むんだそう。なるほど。
この沢マンができた頃は、人口も少ないのどかな田園地帯だった、あぞうの。今や、イオンができて北部環状線が通り、市内でも有数の交通量の多い場所になりました。
僕の中では、田園地帯だったあの頃は「あぞうの」で、今の都会になった薊野は「あぞの」。全然別の地域といった感じなので。その中で変わらず存在感を放ち続けているのが、この、沢マン。