浦戸を全体で考える〔8062〕2025/05/12

2025年5月12日(月)曇り
いやー、面白かった。昨日は、土佐史談会の総会、懇親会がありました。105年の歴史を誇る土佐史談会。錚々たる諸先輩方が築き上げてきた、伝統ある土佐史談会は、現在も錚々たる先生たちが支えておられます。面白かったのは総会後の懇親会。飲みながら談論風発で、興味深い歴史のお話を、専門の先生方からたくさん聞くことができたのでした。いやー、面白かった。
中でも興味を惹かれたのが、松田直則先生のお話。前埋蔵文化財センター所長で、現在高知県立歴史民俗資料館副館長の松田先生は、高知での城郭考古学の第一人者。昨年末、「土佐史談」に掲載された論文「浦戸城跡石垣の再検討」は目から鱗で、このにっこりでも紹介させて頂きました。
昨夜は、その話題を中心に盛り上がらせて頂きました。秀吉の強力な影響下における、石積みなどの話。
浦戸城に残り、移築されている石垣は、砂岩の「築石非整形・割面主体石垣」であり、伏見城の石積みと酷似していることから、秀吉傘下の工人、職人によって築かれた可能性が高いのではないか、という論考でした。
実は、桂浜荘の下のところに、この写真のような石積みと雁木が残されているのであります。迂闊にも、僕は知りませんでした。長宗我部時代の、貴重な貴重な石積み、雁木。浦戸城址には、まだまだ、貴重な遺跡が埋まったままになっており、龍馬もいいけど、浦戸城全体での取り組みをやったらいいのにね、という話で盛り上がったのでした。こんな貴重な石積みが、説明もなく放置されている。貴重さが理解できてない安易な補強工事が施されてたりしてね。
浦戸城は、高知で唯一の、「天守台」がある城郭。天守台は今、鬱蒼とした樹々に覆われているけど、あの樹々を伐採し、元親時代の風景を復元するのは必須でありましょう。発掘すれば、いろんなものが出てきそうだし。
あと、浦戸の城下町も、貴重だ。発掘すれば、重要な発見が期待されます。右下の写真は、以前にも紹介した「観海亭」の東、お稲荷さんの前。ここは道路が少し上り、そして東へと下ってます。その下り坂の突き当たりに、僕の母方の実家がありました。祖父母が住んでたので、子供の頃はよく遊びに来ていた家。当時は車も少なくて、この坂で遊んだことでした。
松田先生は、このお稲荷さんの東側に、元親の邸があったのではないか、と考えておられます。今はポンプ場。発掘したいねー。もしそうだとすれば、僕が子供の頃遊んでいた家は、元親のお屋敷か、それに隣接する場所だった訳で、ちょっとワクワクドキドキしてしまうではありませんか。
浦戸の漁港に、九反田から巡航船を走らせる。観光客さんは、船を降りて、元親御殿を眺めながら浦戸の街並みを歩き、桂浜へ。山の上には日本の城郭史の一幕を伝える浦戸城址。秀吉の強い影響下の、浦戸城址。
そんな夢が膨らむお話でした。
いやー、楽しかった。