高架のオブジェから踏切へ〔8225〕2025/10/22

2025年10月22日(水)小雨
秋雨の朝。今日の南国市の予想最高気温、なんと15.4℃。一気に下がりましたな。まあ、明日明後日は25℃くらいには上がるけど。
そんな、冷たさを感じる雨の中、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の、安芸市以外で唯一の踏切を撮影してきました。安芸発後免行きの始発列車。9640-1S形気動車が、夜明け前、小雨降る踏切を颯爽と通り過ぎてゆきます。
この踏切は「おくら踏切」。なんで「おくら」とういのかは、知りません。高知東部自動車道、のいちインターのすぐ西、烏川のすぐ東。
ごめん・なはり線は、国鉄時代に鉄建公団により阿佐西線として計画され、鉄建公団による「最後のAB線」として建設されました。非電化の鉄道路線としても、最後らしいね。
先日も書いたけど、1990年代以降に建設された第三セクターの路線って、「直線」「高架」が基本になってます。山間部も長い直線のトンネルでぶち抜き、市街地は高架にして踏切を無くす。それが、基本。
なので、阿佐西線もそのように計画され、土佐くろしお鉄道に引き継がれたのでした。
この、野市から吉川へと向かう箇所。ここは、高架にしなくても踏切が一つで済む、ということで、敢えて費用がかかる高架にせず、地面を走らせたんでしょう。そして、恐らく、そこに至る経緯には紆余曲折があったんだと思う。僕はそう思う。それは、何故か。
国鉄の経営が傾き、建設途中だった地方路線は、阿佐西線も含めて工事が凍結されてしまいました。その際、あちこちに建設中のオブジェが残されてたけど、印象に残っているのは、この踏切の少し北側。国道が烏川を渡るあたりで南を見ると、何やら鳥居のお化けのようなオブジェがありました。あれ、恐らくは阿佐西線の高架工事のやりかけでした。巨大な鳥居のようなオブジェ。
あのまま工事再開の目処も立ってなかったので、僕は、「遠い未来の高知県人があのオブジェを見てなんの『遺跡』と思うだろう、宗教的なものだと思うに違いない」などと考えたこと、ハッキリと覚えてます。
そして月日が流れ、1988年、第三セクター土佐くろしお鉄道によって工事が再開され、2002年に「ごめん・なはり線」として開業。
あの、烏川に架かる国道橋の上から見えてた工事やりかけのオブジェは、いつしか姿を消していたのでした。ここからは想像。ネットで調べても、なかなか出てこないので。
工事が土佐くろしお鉄道に引き継がれて再開される際、経費削減などの観点から、設計などの見直しが行われたのは事実。その見直しの中で、この、野市と吉川の間は、費用がかかる高架にしなくても、踏切は一つで済むではないか、という提案が為され、高架は取りやめになり、あの不思議なオブジェは取り壊され、現在の姿になったのではないか。たぶんそうだ。
あの、国道の南に見えていた不思議なオブジェは取り壊され、そしてこの「おくら踏切」ができた。そう考えると、ずべての辻褄が合ってきます。
ところで現在の踏切警報灯、最新のLEDのになってます。2021年3月のストリートビューだと、旧式の踏切警報灯。僕がこないだ2000円で購入した踏切警報灯、この警報灯やったりしてね。