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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

県名が大学名に、村名が大学名に〔8224〕2025/10/21

県名が大学名に、村名が大学名に

2025年10月21日(火)薄曇り

10月も下旬。明日の予想最高気温は20℃を下回る予報。さすがにね。いくらなんでもね。10月下旬ですきんね。

ここは夜明け前の高知大学農林海洋科学部。僕らは普通に「農学部」と呼びます。弊社から徒歩20分。車で5分かかりません。ここは、高知海軍航空隊があった場所で、その、1号館のところで士官が仕事してました。この植え込みの大きな木は、海軍の頃からあった木でしょうか。戦後、新しい学制が布かれる中で、高知大学農学部となりました。

 

国立大学って、その都道府県名を冠することが多い。もちろん例外もあるけど、都道府県名が標準命名方法となってます。私立大学になると、その名前の付け方は様々。明治とか大正とか昭和とか平成とか、年号を付ける場合も多いので、そろそろ令和国際大学とかできてくる気もします。あとは、やはり地名、地域名。「日本」とか「亜細亜」とか「東洋」とか「関東」とか「関西」とか「四国」とか。そんな中、ごく限定された村名が大学名になっているケースで有名なのが、早稲田大学。

 

早稲田大学は、明治15年(1882年)10月21日、大隈重信や宿毛出身の小野梓らによって「東京専門学校」という名前で開学、開校式が執り行われました。そう。143年前の、今日。そう言えば在学中に開学100年とか言いよったような気もするぞ。覚えてないけど。

ウィキの「早稲田という土地」という項目にもあるように、そこは、大隈重信の別荘隣接地。現在、大隈講堂北側に大隈庭園があるけど、そこが別荘地でした。講義棟が建てられたのが、ここここ。現在の正門の少し南。なるほど。

 

地形図見たらこうだ。この十字の場所に正門、そして講義棟。眼前は一面の田んぼ。早稲品種の水稲が栽培されてたんでしょうか。田んぼの水は神田川からでしょうかねー。大学の場所は、他の重要施設の例に漏れず更新世段丘の先っぽやね。今更ながら「なるほど」、という感じ。

 

界隈は水田と茗荷畑。早稲田という地名はまったくの無名で、茗荷の産地として青物市場に出てくるくらいだった、と書かれています。そんな、狭くてマイナーな地名が大学名になったのは、明治35年(1902年)。早稲田大学になる以前から、早稲田村にある学校ということで「早稲田学校」と呼ばれたりしており、そのまま大隈重信侯が早稲田大学と命名した、らしい。「永田町」とか「霞ヶ関」とか呼ぶ感覚だったのかも知れません。

 

現在の早稲田のランドマークである大隈講堂が建てられたのは昭和2年(1927年)。あの大隈講堂で、サークルのライブで演奏したのは、40年以上昔のこと。今は築98年やけど、僕がライブやったのは築54年の時。歴史だねー。


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