9年振り5度目〔8049〕2025/04/29

2025年4月29日(火)晴れ!
甲子園出場なら、地元は沸きかえる9年振り5度目。9年という歳月は、なかなか長いよね。9歳という年齢を積み重ね、久々にやって来ました。丸山台。もちろん徒歩上陸。
浦戸湾の潮汐表を見ると、今日のお昼過ぎが干潮。しかも、結構潮が引くので、徒歩で丸山台に渡れそうな絶好のコンディション。しかも休日。しかもお天気は最高。いろんな好条件が重なり、久々の徒歩上陸となったのでした。丸山台。
丸山台、9年前に上陸した際、浦戸湾内に露出するチャートの岩石ではできてないことに気付いていますね。さすがだ。丸山台の成り立ちについては、昨年考察し、このにっこりにも書いたし、「板垣会」の会報にも書かせて頂いたことでした。
それは寛政八年、1796年のこと。土佐藩第十代藩主、山内豊策公の治世、5月から7月にかけて、大量の人夫を投入して潮江川の川浚を実施。その浚渫によってできた土砂でできたのが「丸山」という話ね。
潮江川は、柔らかい蛇紋岩質の四国山中より流れてくる。その際、山の土砂が押し流されてきて堆積し、できあがった土地が高知の城下の中心部。
そしてその土砂は、藩政期になっても潮江川河口に堆積し、それが洪水を引き起こしてきたりした訳だ。豊策公は、その河口部を浚渫し、洪水の被害を減らすことに最高した英主だった。
てな話を検証する為、今日も南岸、新田の土手から歩いてやってきた、丸山台。
先日、高知新聞に掲載された、石川寅治さんの「高知城を望む」を紹介しました。五台山見国嶺からの高知の城下の眺望。この丸山台から現在の弘化台にかけては、今日のように、広い洲のようなものが広がる浅い海。丸山台から白鷺洲にかけては、今よりも浅い海が広がっていたのでしょう。そこを無数の小舟が往来する、浦戸湾。
板垣退助さんちの目の前にあり、「丸山台温泉場」ができたりしながら、戦争前までは賑わったと思われる丸山台も、今は無人の静かな小島。その小島の地盤は、土。チャートの岩石島ではなく、土でできた小島。なので、表面を整地して料亭を作ったりすることができたのでありましょう。
丸山台の地面はこんな土。鏡川を浚渫した土であることは、間違いないですね。近年、県内の女性経営者グループがここの清掃を始め、県の土木課も協力してキレイにしてきた、と、新聞で見ました。実際、キレイになったねー。いや、本当、キレイになりました。ご苦労様です。
今日、一人で島を堪能していたら、その女性経営者のグループが賑やかに徒歩上陸して来られました。多くは、よく存じ上げている方々で、その活動に対して敬意を表させて頂きました。
約1時間半の滞在で、極楽のような気持ち良い時間を過ごさせて頂いた、昭和の日。こんな1日も、いいね。いい。