昭和の痕跡と、昭和の味〔7960〕2025/01/30
2025年1月30日(木)晴れ!
昨日午前中の飛行機で、高知へ。帰って来たら、東京より高知の方が冷やかった。今朝も結構冷えたねー。冬はやっぱしこうでなくっちゃ。
さて。昨日、新橋の再開発について書きました。SL広場とニュー新橋ビルは、再開発によって無くなってしまうのか。新橋駅西口界隈の場合、なかなかハードルも高いようで、再開発までにはまだ少し時間があるようです。が、まあ、早晩再開発され、東京に残された数少ない昭和の風景もなくなっていくんでしょうねー。
そこで今朝は、宝永町の「昭和の痕跡」を撮影してきました。宝永町にあった昭和感満載の路地の、痕跡。
この路地を初めて紹介したのは2005年のこと。もう、20年も昔になるのか。その路地には、常連さんしか行かないような、時代に取り残されたようなお店が並んでました。
木造二階建ての長屋が左右に並び、トイレは、その真ん中あたりにあった共同便所。トイレと言うよりは便所でした。
その後、営業をやめるお店が増えていき、寂しくなっていった、路地。
その路地の長屋が火事で焼けてしまったのは2012年5月のことでした。飲食街としての路地は、その時に完全消滅。で、電車通り側は駐車場になりました。ただ、その木造二階建ての南側部分は焼け残り、今も、往時の雰囲気を残しながら佇んでいるのでした。こんな感じで。
以前、高知新聞へも寄稿したことがあるけど、狭い路地に僕らが惹きつけられるのは、哺乳類だからではないか、と考察したことあります。白亜紀、恐竜が地球上の支配者であった時代、哺乳類は恐竜から隠れるようにして暮らしていた。穴の中とかで。なので、恐竜が居なくなった今も、狭い場所に居るとなんとなく安心する。猫とか見てるとわかるよね。なんでこんな狭いところに、みたいな場所で幸せそうに丸くなっている、猫。
恐らくは人類も、恐竜から隠れるように暮らしていた時代の名残で、狭い所にいると安心するのではないか。それが、僕らが狭い路地のお店に惹きつけられる一番の理由ではないか。そんなことを思う訳だ。訳です。ニュー新橋ビルの地下も、路地のようなもの。だから僕らを惹きつける。真冬、テントで覆われた狭い狭い屋台で飲んだりラーメン食べたりするのが素敵なのも、恐竜から隠れていた時代の名残りなのか。
こないだ書いた、かつて宝永町に存在した屋台「ゆきんこ」の中華そば。そのせ伝説の中華そばが、この少し西の、「ちょいとや」さんで、金曜土曜限定で再現されています。昭和の風味の中華そば。
ここの路地はなくなったけど、まだまだ美味しい昭和は、宝永町に残されていました。ご興味がある方は、行ってみよう。