松山城、石垣、花崗岩、礫岩〔7906〕2024/12/07
2024年12月7日(土)晴れ
今朝は松山。昨日の午後、やって来ました。一番町の焼き鳥屋さん、おいしかったです。で、朝は松山城を駆け上ってきました。ヘッドライトを忘れたので、少し明るくなってからのRUN。この山、早朝から本当にたくさんの善男善女が訪れてウィーキングに勤しんでます。松山市民に愛されていること、よくわかる。
で、改めて松山城を観察してみると、石垣が素晴らしいことに気付きます。頂上の天守を中心に、恐らくは自然地形をうまく利用した花崗岩の石垣。そう。瀬戸内海の城郭らしく、石積みは花崗岩。
花崗岩は加工がしやすい、という特徴もあって、ほとんどが打ち込みハギで積まれてます。加藤嘉明が築城した際に積まれた石垣もあって、花崗岩、打ち込みハギの乱積み。美しいねー。
その向こうが天守台で、説明版には「本壇」と書かれてます。本壇の南側、つまり天守の正面側の石垣は、幕末、嘉永年間に積まれた切込ハギ。隙間なくビシっと積まれてます。美しいけど、強度は野面積みに劣るとも言われているた切込ハギは、戦乱が無い時代の積み方なのかも知れません。なんで、嘉永年間という幕末も幕末に、天守を建て替えるという工事が許可されたんだろうね。
上にも書いたけど、瀬戸内の城郭の石積みには、花崗岩が多く使われてます。それは、花崗岩が豊富に産出するから。加工しやすいし。高知城の石垣はほとんどがチャートで、それは、チャートがたくさん産出するから。野面積みで強固な石垣が築けます。
慶長7年(1602年)、加藤嘉明によって築城が始まった城。この山は「勝山」と呼ばれた山で、標高は131.4m。高知城の天守が立つ部分の海抜は44.4mなので、約3倍の高さがある山。なので、高知城は麓からずうっと石垣が積まれていっているけど、松山城の石垣は天守の周囲に多く積まれ、麓にはほとんど、ない。
で、やはり花崗岩の山なのかと思い、山肌を注視しながら走ったけど、どうやら違うぞ。露出する岩が花崗岩ではない。そこで、この地質図を見てみたら、北西の一部分が花崗岩やけど、その他の部分は中世代の礫岩でした。なるほど。
今年7月、大雨によって痛ましい土砂崩れ災害があったけど、その発災地点は、ここ。礫岩のところでした。ここから崩れ始め、この谷に沿って土砂が流れていった訳だ。この山でも一番切れ込みの激しい谷。発災現場は、立ち入り禁止になっているけど、天守の横から見ることができました。被災された方には、心よりお見舞い申し上げます。
朝の松山城。石積みが美しい城。しかし、大自然がつくりあげた山。