紀尾井町から埋められた外堀へ〔7900〕2024/12/01

2024年12月1日(日)晴れ!
そんな訳で東京の朝。今日から12月。東京は相変わらずものすごい人の数。一極集中問題は、ニッポンの問題だ。
泊まっていたのは紀尾井町。永田町、麹町近くで、こんな場所に泊まるのは初めて。新鮮でした。なんか、日本の中心地といった感じの匂いがする場所。
紀尾井町ですぐ連想するのが紀尾井坂の変でしょうね。明治11年、大久保利通が暗殺された事件。この道で、自宅から赤坂仮皇居へ馬車で向かっておるときに、襲われたといいます。走ってみるとわかるけど、本当に坂ばかり。馬車引く馬も大変だったことでしょう。東京の人力車夫はエラいねー。かなり過激な急坂が多い東京を走り回っていた人力車夫。
紀尾井町という町名は、御三家である紀州徳川家、尾張徳川家と、井伊家の広大な邸があったところからきてます。界隈、あちこちに説明版があって、そのことが書かれてました。紀州徳川家と井伊家の間の谷を流れていたのが清水谷。この東の、城西大学とかがあるところが紀州徳川家。西側の、ニューオータニとかがある場所が井伊家。その北側の上智大学とかがある場所が、尾張徳川家。どれも、更新世段丘の上にあって、谷に向かって庭園が整備されてたようです。典型的な江戸の都市計画。自然地形を利用した、ヒエラルキーの構築だ。
今朝は、その清水谷から紀尾井坂を駆け上がり、外堀に沿う土手の上を、右手に上智大学を見ながら北上。そこは文字通り「埋められてしまった外堀」。で、四ツ谷駅の四谷見附橋を渡って、南進。その途中、なかなか素敵な風景があったので撮影してきました。交差する鉄道駅。この赤い電車は地下鉄丸ノ内線。丸ノ内線は昔から赤かったけど、こんなおしゃれな車両になってるんですね。その右側、向こうのほうにJR総武線の黄色い電車が見えてます。こんな感じで交差し、更にこの地下には地下鉄南北線も走っているという素敵な鉄道交差。
左手の黄色い車両は地下鉄の保守車両なんでしょうかね。線路に直行して停まっているのが楽しい。
今朝は、特にどこかへ行こう、という目的もなく走り始めたけど、興味深いところだらけでした。東京の街って、確かに興味が尽きません。
しかし、この一極集中はなんとかせんとね。財政力のある都市部では、学校給食の無償化の流れが進んでいるけど、高知市は給食費の値上げを発表しました。なんか、外堀が埋められてきた感じ。今一度、外堀を掘り返したいねー。