蓮台〔7892〕2024/11/23
2024年11月23日(土)曇りのち晴れ
勤労感謝の日。今日は朝から会社でふた仕事ほど済ませ、少し走りに出ました。久々の蓮台。れんだい。鏡川沿い、宗安寺の少し北、尾立(ひじ)から大筋川の谷を遡っていった、山の斜面にある集落。その蓮台という地名からも想像できるとおり、かつてその地に、名刹「蓮台寺」が鎮座していたようです。その寺院は古代建立というから、かなり古くから成立したお寺さん、らしい。戦国期にもその地名が見える、蓮台村。
蓮台寺は、たくさんの堂塔が並ぶ大きな寺院だったとされますね。
「土佐州郡志」によりますれば、その南西に日照山があり、その山下に、除石という、長さ2間で剣のように尖った黒く光沢のある名石があったとのこと。その近くに油田が湧き、観音灯明に供した、などといった情報も。ホントかねー。収穫したネギを洗っているおばあちゃんが居たので、その辺のこと尋ねてみたけど、まったく知らない、とのことでした。
ともあれ。南西の山というのはこの山でしょうか。その蓮台側の山下というと、この辺でしょうか。黒く尖った2間ばかりの石、探してみたけど簡単には見つからんよね。
そんな訳で、円行寺から駆け上がっていった道は、狭くてセメントで舗装されている道やけど、誰も通らんなって幾星霜。荒れ果てて、竹藪などの障害物が多くて苦労しました。で、蓮台界隈をしばらく探索してから、尾立(ひじ)ではなくて大河内(おおがち)の方へと駆け降りました。これもなかなか渋い道。以前、一度駆け下ったことのある狭い道。気温も下がってきたので、蛇にも出会えませんでした。蛇紋岩は多かったけど。大河内は、中世の頃は大垣内。万々、福井を領した国侍、吉松氏の一族、吉松筑前の給地であった、と、地検帳。古城跡があり、「土佐国古城略史」では、元々の城主は伊達入道で、そこを吉松筑後守が攻め落として長宗我部元親から賜った、とあるそう。筑前だ筑後だ、よくわかりません。「土佐石誌」に、白蠟石を産し、佳品と賞されると書いてるんだそう。
今の感覚では、なんでこんな山に、といった場所にも集落があり、人々の暮らしがありました。こうやって自分の足で山をたつくると、そういった人々の暮らしが今もキチンと存在し、そういったあちこちに張り巡らされた人々の営みが、この日本という国土を形成していることが、よくわかるね。勤労感謝の日に、人々の勤労によって形成されてきた山々の集落を走るのも、意味があるなー、と思いました。無理やりやけど。
蓮台は、こんな感じで高知の市内が眺められる場所。鴻ノ森の左側を見ると、朝倉方面の市街地も。現地に行ってみてわかるけど、かつてはどこからも近い交通の要衝で、栄えた理由がわかります。やっぱし現地へ行ってみんとわからんこと、多いね。
大河内から鏡川へ下り、バスに乗って帰ろうと待っていたら。待てど暮らせど、バスが来ない。時間になっても全然来ない。停留所の時間表をよく見ると、旧鏡村の河口営業所から下ってくるバス、日祝日は運休になっておるではないか!
RIOなどのある旧鏡村中心部へは、日祝日に公共交通機関はない、ということになってました。いかんと思います。
仕方ないので電車通まで走り、電車に乗って帰ってきた勤労感謝の日。