月の瀬橋の下から鴻ノ森を眺める〔789〕2005/06/13
2005年6月13日(月)梅雨だというのに快晴!
いやいや、昨日は暑かったですね。高知市内も29℃まで上がりました。が、しかし、今日の予想最高気温は31℃。真夏でございます。しかもお天気は朝から上々で、一日きれいに晴れそうです。またまた爽やかな一週間の始まりとなりました。心地エイですね!
写真はいつもの鏡川。早朝からたつくるのはホントに気持ちがエイです。月の瀬橋の下から新築(しんづき)方面を撮影してみました。これから梅雨本番になりますと、このような晴れ上がった鏡川をあんまし見れんなるろうかと思うて、今朝はこの写真にしてみました。左端には新月橋が写っちょります。
正面少し右手に、一際盛り上がった山がありますね。「聳え立つ」というほどではありませんが、市内から良く見える位置にポンっと盛り上がった山。「鴻ノ森(こうのもり)」ですな。高知市北部や西部の小学校を卒業した友人達は、この鴻ノ森へ遠足で行ったりしたみたいです。標高は300mくらいでしょうか。
戦国時代、長宗我部元親と土佐の覇権を最後まで争った本山氏は、四国山脈の山中本山から出て来て現高知市西部の「朝倉城」を本拠とし、長宗我部氏と対峙しました。鴻ノ森にはその支城があり、鴻ノ森出雲(こうのもりいずも)がその城を守ります。長宗我部元親は、勇将福留隼人らに命じてこの難攻不落の城を攻め、水路を断って鴻ノ森出雲を追いつめます。最後は火をつけられ、出雲は自刃、鴻ノ森城も長宗我部の手に落ちます。
あまりに凄まじい籠城戦やったためでしょう、たたりや怪火などの伝説が数々残されちょりますね。また、水路を断たれたあと、馬に白米を浴びせかけて、城中に水がまだ豊富にあると見せかけたという、全国各地の籠城戦跡に残される「白米城伝説」にも彩られちゅう、戦国の香り漂う鴻ノ森でした。