家電展示船とポンパ列車〔7878〕2024/11/09
2024年11月9日(土)晴れ!
今朝は、昨日と同じ場所から西の方角を撮影してみました。若松町。この右手が稲荷新地と呼ばれた高知有数の歓楽街で、得月楼などの料亭、遊郭、芝居小屋が立ち並んでいた面影は、今はまったく残ってません。
この白っぽいコンクリートの堤防は、東日本大震災を受けて新たに構築された護岸堤。大きいねー。その外側の古い堤防は、昭和45年の10号台風での甚大な高潮被害の後で構築されたものだと記憶します。
それまで、ここには高い堤防はなかった。岸壁のようになっていて、大きな船も着岸していたと思います。そんな当時の記憶。
まだ幼児だった僕は、母親に手を引かれて、この岸壁に係留されていた船にやって来たのでした。その船には洗濯機や冷蔵庫、テレビなどの家電製品が満載されてて、その展示場みたいになってたと記憶します。高度成長の時代、それまでの生活を一変させる夢の家電製品が続々と登場、皆、競ってそういった製品を購入していた時代。
大きな家電店はなくて、街の電気屋さんしかなかった時代なので、たくさんの製品をいっぺんに見られる機会は、高知のような地方には無かったのでしょう。そこで考えられたのが、そういった展示船だったと思われます。60年近く前のこと。今は昔。
それで思い出したのが「ポンパ列車」だ。ウィキにあるように、日立の依頼で国鉄が運行したショールーム列車。昭和45年9月から昭和46年6月運行と書いてるので、10号台風の後やね。
「ポンパ」というのは、当時日立が売り出したカラーテレビの名前。スイッチと「ポン」と入れたら「パッ」とつく。だから「ポンパ」。
それまでのテレビって、スイッチを入れてから画面が出るまで、ヴイーンという音とともにしばらく待たんといかんかったので、すぐにつくのは画期的でした。そのプロモーションで、様々な製品が展示された汽車で全国を廻る、というプロモーションは大人気だったと記憶します。
ウィキによりますれば、ポンパ列車が四国に渡ってきたのは昭和46年2月15日で、2月27日には本州へ戻っているので、僕が観に行ったのはその間ということになりますな。なるほど。
この運行については、こんな本もあります。どうやら、国鉄がかなりの部分を負担していた企画、らしい。高度成長期。そんな時代もありました。
この若松町の岸壁を見ると、家電展示船のことを思い出し、ポンパ列車を思い出すのでした。