雨の白滝〔7871〕2024/11/02
2024年11月2日(土)雨
降るねー。降ります。今日は用事で嶺北地方へ出掛けてたので、少し足を伸ばして大川村の白滝鉱山跡へ。そう。本来なら、明日、「謝肉祭」が開催される予定だった白滝鉱山跡。
早々と中止が決定された「謝肉祭」ですが、今日の状況を見ると、中止で大正解。明日は晴れるけど、今日の大雨では設営ができない。会場周辺は水没状態で、設営準備作業なんかとんでもない、という感じになってました。残念やけど、仕方ないねー。来年に期待しましょう。
こないだ、岩手県の松尾鉱山跡地のこと書きました。最盛期には15000人が暮らす鉱山町があった、松尾鉱山。その規模には及ばんけど、この高知の山中にも2500人が暮らす鉱山町がありました。このにっこりでは幾度も幾度も触れてきた、白滝鉱山跡。
先日、大川村出身で高校のクラブの大先輩、Wさんから貴重な情報をご教示頂きました。小学卒業まで大川村で暮らしたWさんには、姉の同級生ということもあり、大変お世話になってます。大昔、大川村のお家にお邪魔して河原で鮎焼いて食べたこと、覚えてます。それは昭和56年夏のこと。Wさんちのテレビに、甲子園で三振の山を築く名古屋電気高校の工藤公康の姿が放映されてたので、間違いありません。
あの頃にはまだゴーストタウンとして存在していた鉱山跡。で、以前、銭湯の跡を紹介したけど、高校生のときに行った際に見た銭湯とは違う、てな話を書きました。Wさんの情報で、この辺りの道路の下にあったのがその銭湯ではないか、ということが判明。今日は、その場所を撮影してきたのでした。ありがとうございます、Wさん。
銭湯は「昔バスで上がっていったら白滝集落の入り口に広場のようなところがあり、その右下にありました」とのこと。この写真の右下のようです。なるほど。当時の航空写真ではこうなってます。これだ。
高校生の僕が白滝で見たのは、銭湯、パチンコ屋、郵便局など。このポストが郵便局跡地に立っているのだとしたら、ここにあの郵便局があったのか。当時、落ちていた本やノートから、広島大学へ進学した子どもさんがいるな、と思ったことを覚えています。半世紀以上前の話。
Wさん、この看板のところにでも、かつての集落の写真とかを見れるようにしたらいいのに、ということで、今度帰省された際には、村の方に言うてみる、とのこと。いいですねー。何卒よろしくお願い申し上げます!
ついでに、採掘場も当時の航空写真で確認。現場事務所があったのはここだ。現在は土佐はちきん地鶏生産センターになっている、ここ。で、ここに坑道の入り口の穴がありました。今は施設敷地内なので入れんけど、あの坑道入り口はどうなってるんでしょうかね。
以前書いたけど、廃坑をうまく活用して資源化できたらいいねー。そんなことを思う、白滝鉱山跡。
半世紀以上前、高校生だった僕が訪れたときも、雨だった。今日の雨は、あの時の記憶を蘇らせてくれる、雨。