神母ノ木、種馬所、工科大〔7776〕2024/07/30
2024年7月30日(火)晴れ!
昨日、山田競馬のこと書きました。昭和初期に存在した山田競馬も結局は廃止され、昭和10年頃からは、高知工科大学のところに誘致された四国種馬所での草競馬が開催されるようになった、と言います。そもそも種馬所として始まったのは1912年(大正元年)と、以前書いたけど、1933年(昭和8年)測図のこの地図には、それらしきものは見当たらない。やはりここが種馬所になったのは昭和10年からなのか。
種馬所。しゅばしょ。この、戦後の地図にも「高知種畜牧場」とあり、1960年代の航空写真にもはっきりと写っている、種馬所。
この場所、僕が若い頃には、先輩たちは皆、種馬所(しゅばしょ)と呼んでました。
地名で言うと神母ノ木。イゲノキ。神母と書いてイゲと読むことを僕らが知っていたのは、この地名のお陰。土電西武の1階バスターミナルから神母ノ木行きのバスが出てて、アナウンスで「神母ノ木行き、○番乗り場から発車します」といった声が流れてたのを、今も思い出す。
この古げな地名、実は、江戸時代中期以降のもの、らしい。元々は「郷ノ元(ごうのもと)」。そして戦国期、長宗我部地検帳にはそういった地名はどこにもないので、集落らしい集落はなかった、と思われます。地検帳には「散田」「芝荒」「松原」などとあって、屋敷は一軒もない、と、平凡社の「高知県の地名」には書かれてます。
そんな土地が、物部川や舟入川などの水運により交通の要衝となり、明治以降、発展を見せて製材所や製糸工場がつくられ、そして、種馬所もできたという神母ノ木。
神母ノ木という地名の元になったのは、この神母神社でしょう。いげじんじゃ。神母さんは、農業、豊穣の神様。イザナミの涙に由来するみたいね。高知市の田渕町にある畝丘樹下神社も「おいげじんじゃ」と読み、神母と同じ。
今日は高知工科大学で会議があって、やって来てます。いつも思うけど、ここの環境は素晴らしいね。大自然に囲まれた、緑豊かな学苑。ここで寮に住んで学生生活を送ると、勉強し放題。
「散田」「芝荒」「松原」は、種馬所になり、林業試験場になり、そして工科大学になりました。