ネットの真実と7月の雪〔7755〕2024/07/09
2024年7月9日(火)晴れ!
今日も暑いねー。でも、どうやら明日からは梅雨に戻るみたい。牛乳飲んで、体調管理には万全を期しましょう。
暑い暑い暑い夏。やけど、ウィキの7月9日のページを見ると、1615年7月9日(慶長20年6月1日)、江戸で雪が降ったと書かれています。で、驚いた人々が、本郷に富士神社を建立、富士山の神を祀った、と、ありますね。これ、ネットで検索してみると、そもそものソースはここにあるみたい。PHP研究所の「今日は何の日」。
いろんなページに1615年7月9日に江戸で降った雪の話が出てくるが、その内容からして、このページを参照にしていると思われます。さて。さて。さて。
ネットで、その情報ソースが限られている場合、色々と確かめてみる必要がありますね、経験上。で、調べてみました。まず、本郷の「富士神社」の由来、縁起。
本郷の富士神社とは、現在の東京大学赤門を入ったすぐのところにあった富士浅間神社。1573年、そこに存在した小山を富士山に見たて、富士浅間神社を勧請したとのこと。江戸時代に流行った富士信仰の流れやね。そこは加賀前田家の屋敷内で、1628年、駒込にあった富士塚に遷座、合祀されています。この文京区のページに書いておるが、どこにも、雪が降った話は出てこない。全然、出てこない。どうして?なぜ?
もう少し調べてみると、こんなページを発見しました。東京大学大学院人文社会系研究科の松田陽研究室による「本郷の富士山について」という論考。さすが大学の先生で、論理的に、そして実証的に、本郷の富士山、富士浅間神社についてキチンと書いておられます。
この中に、1662年(寛文2年)に出版された「江戸名所記」という本の記述が抜粋されてます。
このやしろは、百年ばかりそのかみは、本郷にあり。かの所にちいさき山あり。
山の上に大なる木あり。
その木のもとに六月朔日に大雪ふりつもる。
諸人此木の本に立よれば、かならずたたりあり。
この故に人みなおそれて、木の本に小社をつくり、
時ならぬ大雪のふりける故をもって、富士権現をくわんじょう申けり
いかがだろうか。恐らく、このPHPの話の元を辿れば、この「江戸名所記」に行き着くんではないだろうか。すると、年代に齟齬が生じる。この文章が書かれたのが1662年で、100年ばかり昔となると1562年。上に書いた、富士浅間神社1573年創建なら、この「百年ばかりそのかみ」という記述に近い。すると、雪が降ったのは1573年なのか。そこで1573年の旧暦カレンダーを見てみました。その年の旧暦6月1日は、1573年6月29日でした。9日ではないね。近いけど。
念の為、1615年7月9日を見てみよう。ん?なんだと?
1615年7月9日は、慶長20年6月14日ではないか。慶長20年6月1日は、1615年6月26日だ。全然、遠い。ここから間違っておるではないか。PHPの記事を引用したみなさんは、同じ間違いをしでかしていることが、判りました。
そもそも富士信仰では6月1日が山開き、神聖なる日ということで祭礼が行われており、その6月1日に雪が降ったということで本郷に富士浅間神社が勧請された訳だ。それが1615年だと、前提が崩れてしまう。
この話はいったい何だったのか、ということになりました。本当にこの季節に雪が降ったのか。降ったとすればそれは何年のことだったのか。PHPの情報ソースはどこだったのか。謎は深まる江戸の雪。
結局のところ、ネット情報というものは、引用に引用を重ねて伝言ゲームのように広まっていくものなので、かなりの注意と警戒を要するね、という話でした。ああ。朝っぱらからこんなことに時間とってしまったのが、悲しい。
写真は、土佐の富士山信仰を代表する介良富士。朝峯神社さんが鎮座まします、小富士山。1972年にUFO捕獲事件があった田んぼの向こうに見える、介良富士。