桜ヶ丘の有力仮説と、記憶〔7756〕2024/07/10
2024年7月10日(水)薄曇り
先月末から、幾度も書いてきた桜ヶ丘のボウリング場の謎。一度は解決したかに思われたが、謎が謎を呼び、再度新しい謎が生まれて混迷を深めるといった状況になってしまった桜ヶ丘のボウリング場。
昨日、1980年頃にボウリング場跡にできた幼稚園に通ったという工場のSチーフの話を改めて確認し、その鮮明な記憶から、ひとつの有力な仮説を導き出してみました。
まず。1970年代には、団地のてっぺんにレジャーランドがあり、そこにはプールやボウリング場もありました。そのレジャーランドは1980年頃にはなくなっており、ボウリング場は幼稚園になった。S君の記憶では、その幼稚園、玄関のところが大きなガラス張りになってて、今考えるとボウリング場の玄関みたいだった、とのこと。そして、雨の日は、幼稚園バスが建物横の螺旋階段のところに到着し、その螺旋階段を上って登園していたそうで、その螺旋階段も、いかにもボウリング場という感じだった、と。
このYouTubeにあるように、その幼稚園は、再びボウリング場になったのではないか。「桜ヶ丘フレッシュボウルZ」の、この「Z」が、再興したボウリング場であることを示しているのかも知れない。S君は、中学生の頃、つまり1990年頃、ボウリング場併設のゲーセンによく遊びに行っていた、と話します。そして、社会人になってひまわり乳業に入社し、営業していた頃、ボウリングが上手だった同僚のYさんと一緒に行き、175点というスコアを出したことまで鮮明に覚えていました。そう。1990年代、桜が丘にボウリング場があったのは間違いなく、1980年頃に幼稚園があったのも間違いなく、そして1970年代のレジャーランドにボウリング場があったのも確かだ。
いかがだろうか。この時系列と証言とYouTubeを並べてみると、真相が見えてこないだろうか。
問題は、地元で昔から暮らす方々の証言。幼稚園の後は、宅地になったという証言。これは、ボウリング場が居抜きで幼稚園になり、そのままボウリング場に戻ったことが、記憶を混乱させているのかも知れない。S君の記憶にある幼稚園の風景や、ボウリングのスコアに至る鮮明な記憶に鑑みても、上に書いた仮説の信憑性が高いのではないか、と考えるのであります。いかがだろうか。
写真は、昨日の夕刻桜ヶ丘界隈を走った際に撮影したもの。PC画面に並べてみました。左上が住宅地図で、その左上隅のカーブミラーに僕が写ってます。その下の写真が、桜ヶ丘団地から見た高知市の風景。右側の写真の右奥にボウリング場がありました。