99年前の四国の鉄道〔7738〕2024/06/22
2024年6月22日(土)晴れ!
昨日、「どうやらやっと梅雨本番」と書いたのに、あれからすぐに雨は上がり、お日様が。暑い1日となりました。今朝も、朝日輝く朝。でも予報では、昼から雨。まあ、梅雨ですきんね。
そんな訳で今朝も1925年(大正14年)4月の「汽車時刻表」。昨日は東海道本線、山陽本線、鹿児島本線の長距離列車のこと書いたので、今朝はローカルネタ。
写真は、現在のJTB時刻表にも引き継がれている、全国の路線図。「鐵道線路略圖」と書いてます。その路線図の四国の部分を拡大してみました。
そう。高知では、高知ー須崎間に鉄道省の路線。伊野、桟橋、後免を「土佐電気線」が走ってます。そして、この路線図には書かれていないのに、時刻表の方には、後免ー手結間の「高知鉄道線」の時刻表が表示されてます。この時刻表が出版される直前、1924年12月8日に開業したばかりの高知鉄道線なので、路線図への掲載が間に合わなかったのでしょう。とにかく、凄まじい勢いで鉄道網が広がっていた時代だ。
鉄道省管轄の鉄道が高知で最初に敷かれたのは、須崎ー日下。今から丁度100年前の、1924年3月30日。日下ー高知間の開業は、その7ヶ月半後の11月15日。須崎駅や日下駅の方が、高知駅よりも早く開業していたのでした。
興味深いのは佐川駅。実は、1924年3月の開業時、佐川駅はありませんでした。西佐川の次は、斗賀野駅。佐川の街中、中心部に駅はなかった。佐川駅が開業したのは佐川ー日下開通の7ヶ月後、10月のこと。当時、西佐川駅が重要視されていた状況を窺い知ることができるよね。
「土讃線須崎駅~日下駅間開通100周年」記念切手には、西佐川駅の写った切手があり、その写真は僕が撮影してこのにこりで使った写真である、という自慢話は、以前書きました。えへん。
こうやって路線図見てみると、鉄道省管轄の路線に先立って、各地にたくさんの民間鉄道が張り巡らされていっていることがわかるよね。そんな時代だった。採算が取れるかどうかはわからんけど、未来のインフラに向けての投資意欲は旺盛だった、そんな時代。経済発展と人口増加がすごい勢いだった、そんな時代。そんな雰囲気を感じさせてくれる1925年の「汽車時刻表」を、しばらくは楽しませて頂きますね。まだまだ面白い内容が満載。
今、高知新聞一面では、「明日の足」という連載の最終章が進行しています。公共交通とは何か。社会にどんな影響を与えるのか。それを、原点に立ち戻って考えてみるのもいいかも知れない。