99年前の「汽車時間表」〔7737〕2024/06/21
2024年6月21日(金)雨
もう、夏至になってしまった。そして雨。週間天気予報見ると、どうやらやっと梅雨本番みたいやね。そんな訳で、こんなムック本を手に入れてしまいました。「時刻表復刻版1925年4月号」。正式名称は「汽車時間表」。
昨日一昨日と使用したのは「時刻表復刻版1964年9月号」。新幹線開業直前の時刻表やったけど、今回のは今から99年前、土讃線の須崎駅と高知駅の間が開業した翌年のもの。大正14年4月号。これは、鉄道省運輸局が初めて編集した全国の鉄道の時刻表で、汽船や乗合自動車の発着表も掲載されてるもの。いわゆる「創刊号」。すごい。いや、面白いね、これ。
時刻表の表示の仕方は、現在のものとほとんど同じ方法。今につながる時刻表の源流。とにかく興味深い内容満載なので、ちょっとづつ、紹介していきますね。
山手線が環状になる前の、鉄道がどんどんと延伸していた時代。まだ土讃線は高知駅から東はつながっておらず、予讃線も高松から今治界隈までしかつながってなかった時代。ですが、既に、東京から鹿児島まではつながっておりました。もちろん下関と門司の間は連絡汽船やけど。
このページは、東海道本線から山陽本線、鹿児島本線を走る長距離列車を抜き出して一覧にしたもの。これ見ると、「特1」とか書かれた優等列車が見えます。こないだ書いた、特別急行の「1列車」だと思います。「特3」と書かれているのは、まだ2年前に走り始めたばかりの「3列車」でしょうか。今のような24時間表示ではないね。面白いのが、数字のフォントで午前と午後を区別しているところ。午前のフォント、お洒落やねー。
で、「特1」は、朝8:45に東京を出発し、大阪到着が夜の8:12。そのまま西へ走り、下関へは翌朝の8:30着。連絡汽船で門司へ渡り、同じ列車番号のまま門司駅を9:40に発車して、鹿児島着はその日の夜、7:30。合計34時間45分。
これで驚いてはいけない。これは特別急行で、1等車と2等車しかない、お金持ってる人しか乗れない列車。そうではない普通列車も、同じルートを走っておるのでした。
左端。列車番号「21」。この列車、東京駅を朝の4:45に発車します。大阪着が夜の10:52。そのまま西へ走り、下関着が翌日午後5:20。連絡汽船で門司に渡り、鹿児島本線を走って鹿児島に着くのが翌朝7:30。同じ列車番号「21」で、なんと50時間45分の旅だ。もちろん客車は3等車で硬いボックスシートでしょう。これ、東京から鹿児島まで乗り通す人もいたんでしょうねー。まさしく、「旅」だ。
それでも、鉄道開通前に比べたら夢のような旅だったことでありましょう。
などと、初っ端から興味深い内容が並ぶ「汽車時間表」。今後も、ちょっとづつ、興味深いところを紹介したいと思ってます。いや、面白いです、ホント。鉄道が日本社会の風景を劇的に変えつつあった、そんな時代の時刻表。