土佐女子、暢さん、鈴木商店〔7734〕2024/06/18
2024年6月18日(火)雨
久々の、雨の朝。梅雨入りした翌日から1週間降らんかったですきんねー。さあ、梅雨だ。
今朝の高知新聞。土佐女子OG93人演奏、という記事。50回定演記念とのことですが、僕は、第一回演奏会に行ってます。土佐女子の体育館でやりました。中学生だった僕は吹奏楽部の部員で、新しくできた土佐女子吹奏楽部の演奏会を、部員連れ立って観に行ったのでした。懐かしいねー。この記事の「レジェンド森本さん」はまさしく同世代だったので、よく覚えてます。トランペット吹いてた森本さん。
この演奏会の写真に、一人だけ、トロンボーン吹いている男性が混じってます。複雑な事情があった訳ではなく、彼は、僕の高校吹奏楽部の後輩で、土佐女子の教員となっているS君。そんな関係で出演しているのでありましょう。善き哉良き哉。
左の記事は、来春の朝ドラ「あんぱん」の主人公となるやなせたかしさんの奥さん、暢さんの話、謎の多い来歴ですが、そのお父様が安芸の出身ということが判明し、鈴木商店時代の写真も見つかったという記事。それを調査したのは、このにっこりにも幾度か登場している郷土史の大先輩、今井さん。さすが、今井さん。
1922年釧路日日新聞発行「釧路の人物」に、暢さんの父、池田鴻志さんが顔写真入りで紹介されているのを、今井さんが発見したのでした。どうやってそんな本に辿り着くんだろう。今井さん恐るべし。
その釧路での肩書きは「鈴木商店釧路出張所主任」。そう。土佐出身の金子直吉さんが大番頭として活躍した、そして全盛期の1920年頃には、その売上高が日本のGNPの1割を占めて三井三菱を凌駕していた、という鈴木商店。この記事で今井さんが語っているように、金子直吉は、親しかった高知商業学校初代校長の横山又吉さんから、優秀な卒業生を鈴木商店に送り込んでもらっていたので、そんな関係だったんだろうと思います。
その池田鴻志さんの、高知商業学校の11年くらい後輩になるのが、弊社創業者の吉澤八洲夫。家の事情で、卒業後すぐ、1914年に日本興業銀行に就職した八洲夫。ちなみに池田鴻志さんが鈴木商店に入るのが1916年。
その後、八洲夫は、それこそ上記の横山又吉先生の招きで高知商業銀行の創立に参加して入行、曲折があり、1922年、吉澤牧場を始めるということになります。
鴻志さんと八洲夫は、高知商業学校の同窓で、出身が安芸と田野。ひょっとしたら、接点もあったかも知れないね、などと妄想する楽しい雨の朝。