坂本城の石積み、穴太衆の仕業〔7619〕2024/02/24
2024年2月24日(土)晴れ
所用(お祝い事)で、昨日から京都へ来てます。久々の、京都。相変わらず観光客も多い京都。街を歩いていると、縦の通りも横の通りもどこもかしこも人がたくさん歩いている、京都。すごいね。みなさんそれぞれの京都を楽しんでます。
泊まっていたのは京都駅前。せっかくの京都なので、早朝、目が覚めてから、どこをたつくって来ようか考えました。そうだ。坂本、行こう。
先日来、ニュースになってます。明智光秀が、比叡山焼き討ちの後、信長の命を受けて築城したとされる坂本城の石垣が見つかった、という話。本能寺の変の後に落城し、再建されるも廃城。そして、どんな城郭なのかわからなくなっていた「幻の城」、坂本城。ルイス・フロイスに「信長の安土城に次ぐ城」と評価された「幻の城」の石垣と思われる遺跡が、宅地開発中の埋蔵文化財調査で発見されたのでした。
現地説明会には2000人が集まったと言います。その発見のインパクトから、大津市は、開発業者と工事中止と保存について協議、なんと、工事の中止が決まったのでした。こういう開発工事が発掘調査で中止になる、というのは異例中の異例。業者さんと大津市さん、Good Job!
その場所は、僕がこのにっこりひまわりで幾度も書いてきた石積み職人の里、「穴太(あのう)」のすぐ近く。なので、高知城の石垣などのルーツと言えるかも知れん訳で、これはもう、実物を見てみるしかない、ということで、早朝からJRで比叡山坂本駅まで行って、その現地までたつくって来たのでした。
ちょっと、感動。石は、予想通り花崗岩。花崗岩の野面積み。これは穴太衆の仕事でしょう。城郭の石垣としてはかなり初期のものになる訳やけど、意外に大きな石が使われてました。
確かにこの周辺、どんどんと宅地開発が進んでいて、建売住宅がたくさん。そんな中、こんなものが見つかり、国指定文化財を目指して保存されることが決まりました。
帰りは、ここから、京阪の穴太駅まで歩きました。古いお寺さんの石積みとかはもとより、住宅の基礎部分まで、至る所に花崗岩の野面積み。穴太衆の仕事と思われる石積みがたくさんあって、楽しいねー。石積みマニア垂涎。
JRの比叡山坂本駅前には「坂本石積みの郷公園」というのがあって、穴太衆の石積みが紹介されてました。
早朝から、いいものを見せて頂きました。僕の京都の楽しみ方。京都ではなかったけど・・・