名神高速から天王山〔7620〕2024/02/25
2024年2月25日(日)小雨
京都から帰ってます。ここは名神高速道路の大山﨑JCT界隈。一昨日、京都へやって来る際には、大山﨑から大津まで17kmの渋滞、といった表示が出てました。僕は、大阪に用事もあって、第二京阪自動車道で京都へ向かったので、渋滞にもかからずスムーズに行けたけど、名神で行った方は大変やったでしょうねー。渋滞の原因は、もちろん、京都。連休を利用して京都へ向かった人が多かったので、京都南インターで降りる車の大渋滞が発生していたと思われます。
渋滞のはじまりは、大山崎。
「山崎」というくらいで、山の先っぽ。その地形、地政学的要因により、重要な役割を果たしてきた山崎。地形を見ると一目瞭然やね。大坂と京都、という重要拠点を往来する際に必ず通る、山と山の間の狭隘な場所が、山崎。一番有名なのは「山崎の合戦」でしょうか。本能寺の変の後、天下を睨んだ明智光秀と秀吉が争った「山崎の合戦」は、天王山の戦いとしても有名。ここが天王山で、ここを制することでこの谷を制し、重要幹線路を押さえる、ということになる訳だ。
今も、JR東海道線、阪急電車、東海道新幹線、そして京阪電車までもがボトルネックのようになった地形の山崎を通っているのは、その地形の為せる技。
山崎は、サントリーの醸造所があることでも有名やね。以前、見学させて頂き、著名なチーフブレンダーの輿水さんにお話をお伺いすることができました。貴重な貴重な思い出。
地質図を見たらこんな感じ。これ見ても、山崎が特異な場所であること、わかるよね。琵琶湖の水、淀川の水が、山脈を無理くり通り抜けることで出来上がった地形だと思われます。
写真、正面に見える山が、標高279mの天王山。「天王山」は、勝敗を分ける重要な局面のことを言い、その由来は光秀と秀吉の山崎の合戦と言われておる訳やけど、「天王山」という文言が使われ始めたのは「太閤記」から。江戸時代になってからの話。で、ここに結構詳しく考察されているように、天王山の合戦自体はなかったのではないか、というのが近年の定説になっておったりする訳で、史実というのは難しいねー。
それはそれとして、ここが交通の要衝、重要拠点であることに、変わりはないのでした。