鏡石、算木積み、野面積み、矢羽積み〔7615〕2024/02/20
2024年2月20日(火)晴れ
春の陽気。もう、春でしょうか。
ここは高知城の南東。追手門と天守を一緒に望めるのは、現存12天守のお城でも高知城だけ、と聞いたことあります。美しいねー。今日は、高知城の下で会議がありまして、早朝にふた仕事くらい片付けてからやって来てます。
この風景。これ、藩政期からある風景かと思ったら間違います。それは、石積みを見ただけでもわかるよね。そう。また石積みの話。しつこいですか?
追手門とかの石積みは、チャートの野面積み。コーナーの部分は美しい算木積み。門の左側の算木積みを見ると、ひとつだけ直方体の巨岩が縦に積まれてます。あれはいったいどういうことなのか。
近世城郭では、石垣の中に、他の石とは比べものにならんくらいの巨岩が埋め込まれていたりります。鏡石。鑑石とも書くけど、要は、城主の権威とかを示す石とも言われるし、石工が、悪気などを祓うために置いたという話もあるし、まあ、特別な意思をもって置かれたもの。では、あそこにわざわざ縦の石を置いたのは何故なのか。そもそも他の石と大きさは変わらんので、鏡石と言えるのか。石工さんの心意気なのか。などと想像が広がって楽しい石積みの世界。楽しくないですか?
この風景の話でした。そう。藩政期には違う風景だったことが、石積みでわかる、という話。このお堀は、もっと広かったのである。たぶん、その向こうの塀が乗った石積みのところまで、お堀だったと思います。
この手前のお堀沿いの石積みは、藩政期に積まれたものでは、ない。高知城を彩っているチャートの野面積みではないから、すぐわかりますね。この積み方は、矢羽積みの一種だ。石を、左に斜めに並べ、その上の「谷」に右に斜めに並べ、その上に左に、という積み方。職人は「いってこい積み」などと呼んだりしたみたい。少なくとも穴太衆はそんな積み方はしないと思うし、近代になってから積極的に使われるようになった積み方だから。
そんな訳で、この石積みが積まれるまでは、お堀はもっと広かったことが想像できるのであります。
こないだ、壁面にあった算木積みの痕跡から、かつては違う風景だった話を書いたけど、こんなにも想像が広がって楽しい石積みの世界。楽しくないですか?
そんなことより会議会議。