角閃石と高知城と穴太衆〔7610〕2024/02/15
2024年2月15日(木)小雨
高知は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈みこむ際に押し付けられた付加帯で、成り立っています。なので、チャートとか石灰岩とか、海洋由来の地層が多い訳やけど、海洋由来でない、ゴンドワナ大陸由来の古い地層も、一部存在してます。黒瀬川構造帯。その黒瀬川構造帯の中には、寺野変性岩というのが含まれてて、その石の由来は4~5億年前。地球上にやっと様々な生物が広がり始めていた時代。
その寺野変性岩を構成している主たる石が、角閃石。かくせんせき。そして、以前にも紹介したけど、高知城のある大高坂山には、その角閃石の露出があるのであります。角閃石、チャート、そして蛇紋岩の山、大高坂山。
今朝の高知新聞。佐賀県の吉野ヶ里遺跡から、弥生時代中期前半の、青銅器鋳造用の鋳型が発掘された、という記事。で、その鋳型は角閃石でつくられたもの。昨年9月には蛇紋岩製の鋳型も、見つかってます。角閃石は佐賀県では産出しないことから、朝鮮半島から持ってきた鋳型なのではないか、という可能性が検討されているんだって。なるほど。角閃石と蛇紋岩って、高知にもあるけどね。まあ、流石に高知から吉野ヶ里は無いか。田村遺跡でも、鋳型が発見されたとかは聞かんしね。
高知城の石といえば、昨日、少し書きました。チャートの野面積み。山内の殿様が城を築いた際には、近江から穴太衆という専門技術集団を呼び寄せて積んだ、とされてます。穴太衆(あのうしゅう)については、こんな論文がありました。穴太は、坂本の南。渡来系のひとたちが住んだ町なんですね。この論文には、穴太衆の技術を今に伝える13代穴太衆石積工匠、栗田万喜三さんと14代栗田純司さんが登場します。
家伝の心得として「石積みには、まずいち早く使用すべき石材の心を知ることが必要であり、そのためには一本一本の石材の心を知ることが必要であり、そのことを心にとどめて石の据付をすべきである。」「特徴ある石材を適所に自由に配せる技術であり、その結果として石垣としてバランスがとれた見た目にも安定感のある石垣が構築できることである。」と述べておられます。なるほど。
高知城三ノ丸の大石垣改修工事や、新堀川石積み移設工事に携わったのは、やはり穴太衆の栗田建設。新堀川の現地説明会で頂戴した名刺には、第十五代目穴太衆頭 栗田純徳」と記載。技術や思いは、受け継がれているのでした。