久万川と久万〔7593〕2024/01/29
2024年1月29日(月)晴れ
久万川。くまがわ。高知市の北部を西から東に流れ、浦戸湾に注ぎ込む川。その源流は、円行寺の北、網川界隈でしょうか。
その流路に久万という地名があり、その北には久万山。「高知県地名辞典」には、こう書かれています。
「太古は久万山の山裾に纏い、細長く江海に沿う隈の地であったことに由来し、隈の字に久万をあてたという(久万郷士談)。」
なるほど。確かに、古代の浦戸湾は秦泉寺や久万の南側まで広がっていて、その隈(クマ)だったかも知れない。ただ、この地理院地図で標高を確認すると、現在の紅水川より北側に結構広い平野が存在したと思われます。そこには、土佐では田村荘と並んで古い成立とされる久満荘がありました。なんか、山裾の土地、というイメージが感じられない(個人の感想です)。
話は少し変わります。今、「地名の原景」という本を読んでます。著者は、木村紀子さんという言語文化論の研究者の方。太古のことば、文字、発音などなどから、地名などの成り立ちを考察してます。万葉集の言葉とかがたくさんん出てきてとっつきにくい感じやのに、なかなか目から鱗の話がいっぱいで、楽しめた本。その本をネタしにた話はいっぱい書きたいと思ってます。
その中のひとつ。
「先年、なぜか相次いで大洪水を起こした川に、熊本の球磨川、長野の千曲川、宮城の阿武隈川がある。」と始まる問題提起では、どの川にも共通する「クマ」が「曲流」を意味していて、それが洪水の原因のひとつ、という考察をおこなってます。なるほど。球磨川はクマの川で、千曲川は曲(クマ)が1000もある川で、阿武隈川は危ない「クマ」がある、ということらしい。
万葉集では「クマ」は「道の隈(曲がり角)」の意味で出てくるそうで、隈は、縁どりでもあるけど、曲がっていることも、意味しています。
そこで我らが久万川。今の久万川は、かなりまっすぐ流れる川。しかし、今昔マップで明治期の久万川を見てみると、ここでは大きく蛇行しています。久万界隈ではまっすぐやけど、このまっすぐ、なんか不自然やと思いませんか?周囲の道のクネクネに対して、川がまっすぐすぎるみたいに、見える(個人の感想です)。今朝の写真は、そのまっすぐに流れる部分の久万川。普段は少ない水量が、大雨になると一気に増水する、久万川。ひょっとしたら、昔、クネクネ流れていてしょっちゅう氾濫していたのを、まっすぐに付け替えたのではないか。
そうすると、この川は曲がりくねったクマの川で、クマ川となり、そのクマ川が流れている荘園がクマ荘となった、という仮説が成り立つかも知れない訳だ(個人の妄想です)。
こないだも書いたように、日本の地名というのは、離れた土地であっても同じような由来を持っているケースが多い。久万という地名が古い古いものであるから尚更、久万は隈で曲であったのかも知れない、と思うのであります。どうでもいいですか?