200,002,000年前の57年〔7583〕2024/01/19
2024年1月19日(金)曇り
この石灰岩礫岩については、以前、考察しました。この花崗岩できた標柱に刻まれている説明文の話。昭和42年に高知市教育委員会が立てたものなので、まあ、少し古い説明文にはなってます。こういったもののアップデートって、気を付けてないと、なかなか進まない。
高知城の山、大高坂山の地質については、かなり研究考察も進んできているので、せっかくなのでそういった説明とかもあったらいいね。以前も書いたように、なかなかに古くて特徴的な地層なので。
今日は県庁西庁舎で仕事がありまして、やって来てます。ここは辷山。すべりやま。追手前小学校の生徒だった僕らの、楽しい遊び場だった辷山。その名の通り、斜面をダンボールで滑ったりもしたし。あの頃は、なんでもが遊びにつながり、想像力は無限大だった。たくさんあった住宅やビルの工事現場(基礎工事)に「○○地獄」とか名前を付けて、地獄めぐりと称して楽しんでみたり。もちろん立ち入り禁止やったけど、それはそれ。
この東側、現在の高知県警本部がある場所は、警察官の官舎でした。その官舎から追手前小学校に通う同級生も多かったねー。
さて。この標柱に刻まれた二億二千年前。200,002,000年前。これは、もちろん220,000,000年前の間違いやけど、昭和42年からずうっと200,002,000年前。昭和42年というと、僕は6歳で、57年前。57年間、200,002,000年前で過ごして来た、標柱。まあ、間違いというのは必ずあるもので、別に文句があるわけでもないし、もちろんこれでもなんとなく意味はわかるし、なんの不都合もありません。
世の中には、こういったイージーなミスから、勘違いによる間違い、根本的な間違いまで、たくさん存在しますね。
特に、現地の説明板に書かれていることを鵜呑みにして、大きな間違いをこのにっこりに書いてしまった経験がある僕としては、安易に、現地の説明板を信用する訳には参らんのであります。
こないだ、偽書について書いたように、偽書の記述に基づいて史跡ができ、観光地化しているケースもあったりするので、世の中は難しい。一旦そういった観光地ができあがってしまうと、「これ、間違いでした」とするのはかなりハードルが高いよね。
ここ高知城の山、大高坂山を本拠として頑張ったとされる南朝方の英雄、大高坂松王丸の話も、もしも佐伯文書が正しくなければ、定説が覆ってしまう訳で、ここにある大高坂松王丸の碑文も怪しくなってしまう訳で、なかなか大変。佐伯文書の信憑性は、まあ、高そうではありますが。
そんな訳で、そろそろ、大高坂山の地質についても、近年の研究成果に基づいた説明版があってもいいと思ったりした、暖かい暖かい冬の1日。