銀座、築地、きつねや〔7579〕2024/01/15
2024年1月15日(月)晴れ!
そんな訳で、東京。今年初めての東京。やっぱしヒトが多いねー。そんなに寒くない朝、5時にホテルを起き出して、銀座、日本橋、築地界隈を走ってきました。
月曜朝、その時間の銀座はさすがに静か。鎮まりかえっている、銀座の街。中央通りを歩く人も少なくて、ゴミの収集車や業者さんのトラックが時折行き交うばかり。新橋から中央通りを4丁目の方へと進むと、まあ、有名なブランドのお店がずらりずらり。僕が知っているような有名ブランドから、僕が知らない有名ブランドまで、ずらりずらり。そういうのが好きな方には堪らんのでしょうねー。
銀座と言われて僕ら地方人が思い浮かべるのは、やはり4丁目の交差点でしょうか。あの、和光のビルがある交差点。時計台のあるビルを見ると、なんか、銀座という感じがするのではないでしょうか。
あの素敵なビルは、服部時計店の2代目のビルで、1932年に竣工してます。幾度か書いてきたけど、昭和7年。大正後期から昭和初期の建物って、素敵なのが多いですよね。
その服部時計店の2代目のビル、地震火災対策で外装にすべて天然石が使われた、とウィキに書いてます。その甲斐あってかなかってか、戦争でも焼けずに残り、戦後日本の復興を担ったのはご承知の通り。
そんな訳で、戦後を舞台にした初代ゴジラでは、復興の象徴だったそのビルは、ゴジラによって破壊されました。1954年(昭和29年)のこと。
ゴジラ70周年、シリーズ30作目で公開され、アメリカやヨーロッパでも高い評価と興行収入を得ている「ゴジラ-1.0」の舞台は、初代ゴジラよりも前。で、初代と同じように、その服部時計店の2代目ビルは、破壊されてます。初代のゴジラの時代は「和光本館」として。ゴジラ-1.0の時代は、進駐軍のPXとして。進駐軍から返還されて「和光」になったのは1952年(昭和27年)なので。
今日の最終目的地は、ここ。築地場外。
この、築地場外門跡通りの「きつねや」さんを初めて訪れたのは、2013年1月のこと。11年前。知識なしに、嗅覚でお店を探すのは、好きです。そしてこのお店は、当たりでした。
この間、築地市場が豊洲へ移転する、という大事件がありました。そうなると、場外のお店はどうなってしまうのか、などなど、たくさんの議論が巻き起こったねー。門跡通りのお店はそのまま残ることが決まって、そんな話を、きつねやさんを切り盛りしていたおばあちゃんと交わしたことでした。
そして。市場が豊洲へ移ってからどうなったか。
「きつねや」さんは、以前よりもお客さん、増えました。明らかに、増えてます。6時半の開店前から長い行列ができる、なんてこと、以前はなかったですきんねー。今朝も開店30分前から行列ができはじめるという繁盛ぶり。
寒い朝、温かいホルモン煮を、外で食べる。この雰囲気こそ、人気の秘密なんでしょう。豊洲の、綺麗でおしゃれなビル内だと、単なる早朝営業のレストランですもの。
何が、心の琴線に触れるのか。これはなかなか難しい問題。
「きつねや」さんの味と雰囲気は、多くの日本人の心も、多くの観光客さんの感情も、動かすものに満ちているんだと思いました。
さあ。朝からホルモン丼で元気充満。東京での仕事を始めます!