高知県史跡 紀夏井邸址〔757〕2005/05/12
2005年5月12日(木)晴れ!
今朝はトウから南国工場へ来ちょります。南国工場の東には清流物部川が流れ、その東が野市町。来年合併で香南市になります。この野市町には「父養寺(ぶようじ)」「母代寺(ぼだいじ)」という地名がありますね。
土佐は遠流の国。古来、多くの貴人が流されたり左遷されたりしてやって来ました。菅原道真公の長男菅原高視さんや土御門上皇などが有名。それよりも前の貞観8年(866年)、応天門の変に異母弟が関係したことに連座して、紀夏井(きのなつい)さんという貴族が流されてきました。
各国の国司などを歴任した能吏で、讃岐守の任期を終えて京へ帰る際には、国人が惜しんでたくさんの贈り物を差し出したそうです。夏井さんは、目録だけ受け取り、現品は送り返したそうですね。
紀夏井さんの数年後、若かりし菅原道真公が国司として讃岐に赴任、慕われまくっていた夏井さんと比較され、つらい日々を送ったそうです。夏井さんはそれほどの人物。
で、土佐へ流されて来た紀夏井さんは、ここ野市の丘に住み、医学の知識を活かして薬草を採って病人を治療したりして地域住民に慕われたそうです。また、土器を製造したりもしちょります。ここ土佐でもとても住民に慕われた有徳の人物やったがですね。
母が亡くなったあと、お寺を建てて供養し、また、父親の供養も誠実に行ったことでも有名で、そんなこんなで、この辺りの地名が「父養寺(ぶようじ)」「母代寺(ぼだいじ)」になったのだそうです。