大丸前の風景〔7543〕2023/12/10
2023年12月10日(日)晴れ!
12月もそろそろ中旬というのに、ヌクいねー。ここは帯屋町。左手が大丸さんで、右端は、四国銀行中央支店だった建物。今はATMコーナーだけになったけど。
この大丸さん前は、夜、大丸さんの閉店後、ストリートミュージシャンや大道芸人、手相見さんなどが並んだりします。昔、僕が子供の頃の夜は、ストリートミュージシャンみたいな方は居らず、手相見さんとかが少し居る程度でした。ストリートミュージシャンが増えたのはいつ頃からだったろう。
ここは、以前、ブラタモリでタモリさんをご案内した場所。ここを歩きながら、僕がタモリさんのダークルの後輩であることを喋ったこと、今でもはっきり覚えてます。ここだったここだった。
この右手の道路、向こうで少し盛り上がってます。あそこが、藩政期、上級武士が居住する「郭中」と庶民や下級武士が住む「下町」を隔てていた場所。幅18mほどのお堀があり、「土橋」という橋が架かっていた場所。なんでも、その橋をそのまんま叩き込んで道路にしたので、今でもそこだけ盛り上がっているんだとか。
明治期の市街図を見たら、この左側の道、大丸前の道は、ない。東から来た人は、この右側の道を通り、土橋を渡ったところで左折、大丸の向こう側で右折して、帯屋町へと歩いていったのでした。
風景は変わる。どんどん変わる。
僕が子供の頃はキャバレー文化真っ盛りで、「椿」とか「リラ」とか、有名なキャバレーには毎晩生バンドが出演し、華やかだったと言います。そんな中を通って「小林塾」へ通っていた小学生時代。社会人になった頃は、まだ、そんなキャバレーで毎晩演奏していたミュージシャンが多く残っていて、それはそれは上手だった。毎晩本番をこなしていた彼らは、初見、移調はお手のもの。すごかった。
それはともかく。変わってゆく風景の中に、なんか、時代に取り残されたようなものが立ってます。Hanakoさんの前にある、緑の公衆電話。こんな感じで、こんな感じで、道の真ん中にポツンと立っている公衆電話。使う人が居るのかどうかは知らんけど、ちょっと不思議なオブジェに見える、公衆電話。
街中の風景はどんどんと変わる。変わるけど、エアポケットのように残っている、昭和。