町名は残った!〔7522〕2023/11/19
2023年11月19日(日)晴れ!
そんな訳で、お天気の良い日曜日。今朝は冷やかったねー。そろそろ山も、紅葉が見頃になってくるんではないでしょうか。かなり遅いけど。
僕はいつもの日曜日の朝。早朝会社にやってきて、一仕事やって掃除を済ませ、柔らかい朝の日差しを浴びながら新聞読む時間。一週間で一番好きな時間かも知れませんな。
そんな高知新聞の「ちいきのおと」というコーナーに、「面積最小 戦前の35分の1」「区画整理外れ町名残る?」という見出し。なるほど。これは迂闊にも知らんかった話。水通町、通町、本丁筋の町名が、今も極小エリアに残っている、という話題。
もちろん、以前には、あの、東西に水路が流れる道、城西館さんの裏手の道、火曜市が立つ道が「水通町」であることは、知ってました。その南の道が通町であることも。しかし今は殆どが「上町」になってしまっていますよね。1966年、「復興土地区画整理事業」の一環で「上町」「升形」が生まれ、それまでの町名が大きく変わってしまいました。そして。水通町、通町、本丁筋の名称は消えたかに見えたけど、実は残っていた、という素敵な記事。
かつての町名は、通りに沿って付けられてました。藩政期の絵図を見ると、道路を中心にして北側と南側に町名があります。ところが現在は、ブロックごとに町名が決められてますよね。特に戦争で焼けてしまった高知の市街地は、その再整備の中で、町名もほとんどが変わってしまい、ブロックごとの町名になったのでした。
で、北から北奉公人町、本丁筋、水通町、通町、南奉公人町、築屋敷と並んでいた町名は、上町1丁目から5丁目と升形になってしまい、消滅したと思っていたのは浅はかだった。残っていたのであります。「北奉公人町」「南奉公人町」「築屋敷」の町名は消えたけど、旧町の西端、県道高知春野線の西側に、面積0.002平方キロの「水通町」「通町」、そしてちょっとだけ広い「本丁筋」が、今もキチンと残されている、という記事。
町名を残して欲しいという住民の意見を聞いて、みたいな話もあったみたいやけど、それは無いでしょう。行政は、そんなこと、しない。県道の西側が区画整理事業から外れていたので、その小さな場所だけが端切れのように残った、というのが正解。役人さんがシデカシテしまいそうなことやね。
まあ、そのお陰で、貴重な町名が残った訳で、これは結果的に良かった良かった。
面積は狭いけど、2023年11月現在の人口は、本丁筋40人、水通町21人、通町165人となってて、まあまあ。
地理院地図見ても、Googleマップ見ても、なかなか気付くことのない事実なので、とても勉強になりました。
世の中知らないことだらけ。