上岡八幡宮前戦争遺跡は、きれいに〔7475〕2023/10/03
2023年10月3日(火)晴れ!
涼しいねー。この季節が、一番食中毒に気を付けんといかん、と、岡山大学農学部で研究生やってたときに教わりました。体感としては涼しくなるので、つい、食品の冷蔵について油断してしまうのがこの時期なんだそう。実際の気温はまだまだ高いのに、気温が十分下がったと勘違いして冷蔵を疎かにし、食中毒を起こしてしまう。お気を付けくださいね。
さて。ここは久々の野市、上岡。向こうに見えるのが、上岡八幡宮さんの、鎮守の森。上岡山。神の、丘。
太鼓の昔から、恐らくは田村に弥生集落があった時代から、神様の棲む、または神様が降りてくる丘だったのでありましょう。
その南側、物部川の扇状地には、広い広い田んぼがありました。その田んぼを突っ切るように「高知東部自動車道」の工事が進んでいます。進んでいるけど、時間かかってますねー。
東部自動車道は、既に高知自動車道の高知インターから高知龍馬空港インターまでが開通。そして香南のいちインターと芸西西インターの間も開通。
のいちと空港の間が、取り残されている感じでまだ未開通なんですね。このページ見ると令和7年春頃開通と書いてるので、あと1年半か。
ここで工事の準備が始まったのが、2016年春のこと。赤い旗が田んぼに立てられて、縄張りが決まってました。あれからもう、7年。かかったねー。
実は、その翌年には道路の土盛も行われてて、田んぼの畦道に転がっていた戦争遺跡が、ちゃんと整備する準備が行われてました。こんな感じで。説明板の石碑は立てかけられたままやったけど。
この状態が、長かった。ずうっっとその状態やった。それが、やっと、こんな感じで舗装されて説明板もきれいに設置されました。
説明板の文章を転記します。以下転載
ここに建っている鳥居と幟立ては参道の先四十メートルに建っていたが、昭和二十年五月三日米軍B29により上岡地区が爆撃を受け、爆弾が近くに落下し鳥居の上部が吹き飛び破損した。平成二十八年十月東部自動車道の建設によりこの場所に移設したものである。
約百七十年前に鳥居を建設された三人の意思を尊重し、戦争の遺跡として後世に伝えたくて石碑を建立する。
平成二十九年六月吉日 上岡八幡宮宮司 山中秀彦 総代一同
以上転載
平成29年は、2017年。6年経過して、座るべき位置に、鎮座した石碑。東部自動車道の建設によってここに移設されることがなかったら、今も説明もなく転がったままだったかも知れない、戦争遺跡。よかったですねー。170年前に創建された島内久米蔵さん、島内久米平さん、島内直之進さんも、喜んでいるでしょうか。
それにしても、風景、劇的に変わりました。