草地の植生と人間の関わり〔7444〕2023/09/02
2023年9月2日(土)晴れ!
人が住む場所の周囲には、人の手によって作り出されてきた里山が存在してきた。明治の頃の風景写真とかを見ると、都市部周縁の山々は、禿山のように見えるよね。実際は禿山ではなく「半自然草地」。火入れや刈り取りによる「人為的撹乱」によって、長い長い年月維持管理されてきた里山。
以前にも書いたけど、そこで刈り取られた「芝」は、肥料や燃料として重宝された為、多くの里山は「入会地」として管理され、人々の暮らしを支えてきた、という歴史があります。
里山の樹々や草地が必要とされなくなり、いつしか、都市部周辺の里山には樹々が鬱蒼と生い茂るようになり、かつての景観を見ることはできなくなりました。
そういった草地には、独特の植生が育まれ、多様な植物が繁栄していた訳やけど、そんな草地がなくなるに連れ、草地植物の種多様性は、減少してきたのでした。
しかし、高知市の市街地周縁には、そういった草地が今も残っている貴重な山が、あります。そう。高見山。正式名称は皿ヶ嶺でしょうか。僕らは子供の頃から高見山と呼んできたので、高見山。
ご承知の通り、高見山は、しょっちゅう焼けます。何年かに一度は「墓参りの線香から失火」とかいった理由で、焼けます。しょっちゅう焼けるが故に、それがかつての「火入れ」の役割を果たし、豊かで独特な植生を保ちつつ、大きな樹々が生えていない特徴的な景観が醸し出されている、高見山。失火で焼ける、と書いたけど、かつては、麓に住む青年団や消防団が毎年焼いていた、とのこと。僕が子供の頃から可愛がって頂いた潮江の酪農家、野崎さんが、そう話しておられます。消防立ち会いの元、地元の消防団で毎年実施していたという山焼き。
それが行われなくなったのはいつ頃なのかは、わからない。しかし、どうしたものか、数年おきに火事になり、焼けてきたのが高見山。そのお陰で、貴重な植生を今も見ることができるのであります。
高見山にはお墓が多いけど、古くからのお墓の所有者の皆さんも、焼けることについては問題としていません。いや、以前焼けた時、ヘリコプターが鏡川の水を汲み上げて空から撒き、消火しようといしたことがあったけど、それにより墓石が割れたり倒壊したりして、エラい迷惑なのでやめて欲しい、とも言うておられました。そう。焼けたら焼けたままの方が、いいのだ。
その高見山も、近年は、めったに焼けんなってしまいました。前回焼けたのが2017年3月で、その前が2009年1月。その間、8年経過していました。恐らくはそのせいで、つまりそれまでになかったくらい火事の間隔が開いたせいで、それまでには無かったくらいの広い範囲が焼けたのでした。「歴史はべき乗則で動く」という原則で言えば、前回から6年以上経過した今、ひょっとしたらちょっと危険な状況になっているのかも、知れません。
そんな高見山の自然観察会にお誘い頂き、今日の午前中、行ってきました。案内してくれるのは、以前より高見山の植生を研究して来られた高知大学名誉教授の石川愼吾先生。いやー、勉強になりました。暑かったけど。絶滅危惧種の草花がいっぱいの、高見山。色んな条件があるけど、例えばチャートの露岩が多い斜面とかは、一般の樹木が生えにくく、そんな場所にこんな感じで絶滅危惧種。いやー、勉強になりました。
戦後、毎年消防団が山焼きをしていたのには、防災の為という理由もあったようです。ちゃんと焼いておかんと、焼け過ぎてしまう危険があるから。防災と自然保護。
もちろん今の時代、住宅地の近くで山焼きをする為のハードルは、高い。こじゃんと、高い。なんか、うまい方法がないか、みんなでみんなで考えたいよねー。石川先生も期待してました。暑い暑い土曜の朝。