立川番所から笹ヶ峰隧道へ〔7425〕2023/08/14
2023年8月14日(月)曇り
こないだ台風6号が行ったばかりやけど、今度は台風7号。どうやら明日が大変みたいで、弊社物流担当も、その対応に頑張ってます。明日の大阪東京送りの荷物、可能な限り本日の配送に前倒ししたりして。こういった対応も経験がものを言う訳で、いつもながらに感心してしまいます。ご苦労様です。
で、今日は早朝から香川方面へ。仕事です。朝3時半から会社で仕事したりしてました。なので時間があります。今日は、県道5号線、土佐北街道を走ってきました。笹ヶ峰隧道で迎える、夜明け。このルート、2018年の豪雨で道路が土砂崩壊して、約5年間、通行止めになっていたルート。今年、再び通れるようになった、県道5号線。
この県道5号線、高知県の県道5号線でもあるし、愛媛県の県道5号線でも、あります。調べてみると、1993年の建設省の通達で、都道府県を跨ぐ都道府県道は、できるだけ統一の整理番号になるようになった、とのこと。なるほど。それまで、この道、県道5号線ではなかったんでしょうかね。知らんけど。
で、この写真は、県道5号線、笹ヶ峰隧道から高知県側に少し下ったところから撮影した風景。この谷間を街道が走り、立川から本山、高知の城下へと繋がっておりました。
立川は、延喜式に「丹治川」とある古い駅。丹治川と書かれたように読み方は「たじかわ」で、立川という文字が当てられてからも、読み方は「たじかわ」。
「日本後紀」延暦16年正月27日条に「勅、南海道駅路迂遠、使令難通、因廃旧路通新道」とあります。797年のこと。それまでの官道、南海道は、伊予の方をぐるりと廻るルートでした。京都からは遠い遠い。それで新たに開発されたのが、この北山越えルート。車で上ってきても、なかなか険しい場所。ここの峠を越えるルートが開発されたことで、都と土佐の陸路の距離がとても近くなったのでした。
その後、室戸廻りの回路とか、野根山越えとか、いろんなルートができて、藩政期の参勤交代にも使われた訳ですが、6代藩主豊隆公の享保3年(1718年)、この北山越えが再整備されて正式な参勤交代ルートになったのでした。この山道、駕籠や馬で越えてゆくのは大変だったでしょうねー。
今日、ここへ上がって来る途中、立川の旧番所書院に立ち寄ってきました。参勤交代の際の、藩主の、藩内最後の宿所。今も立派な書院が残っており、国指定の重要文化財。
で、その番所は、北川村岩佐口番所(一昨日書いた二十三士が通ったところ)、仁淀川町の池川口番所と並んで、土佐の三大番所のひとつと言われたのでした。
今朝通ったのは5時過ぎ。なのでもちろん営業してません。ふと、江戸時代の番所って何時から何時まで営業してたんだろう、などと思ってしまいました。24時間営業だったのか。いや。それはないだろう。土佐三大番所に数えられる立川番所に朝5時に着いたら、通してくれたんでしょうかね。
今日は朝5時に無事通過し、愛媛県の新宮から徳島県の山城町へ抜け、国道32号線を走って香川へ。
香川で午前中仕事して、午後には本社へ帰ります。便利な世の中になりました。