雨とセミの声とヒルザキツキミソウ〔7414〕2023/08/03
2023年8月3日(木)雨
夜明け前に結構な勢いで降った雨も、少しづつ静かな降り方になってきた、朝。午後には晴れ間も出て、気温も上がる予報。こりゃあ、蒸せるね。
雨が降っているので、今朝はクマゼミのワシャワシャ大合唱は聞こえない。どこかからジジジーという小さな音がするばかり。あれはアブラゼミなのか。
セミは、雨が降るとどこでどうしてるんでしょうね。どこかで静かにじっとしているんだとは思います。雨が降ると、翅が濡れて鳴けない。セミの鳴き声って、翅が擦られる音ですきんね。なので濡れたら音が出ない。そもそも、羽が濡れると飛びにくいみたい。そして、セミが鳴くのはオスの求愛活動な訳やけど、もし雨の中で鳴けたとしても、雨の中寄ってくるメスは居ないので、鳴いても仕方がない。
そんな訳で、8月でも雨の朝は、静かなのでした。
子供の頃、セミは7年間地中で幼虫として暮らし、地上に出て来て1週間で死んでしまう、みたいなこと習った記憶がある。習いましたよね。ところが、今調べて見ると、セミの種類にもよるけど、3年くらいで成虫になるのもいれば、10年以上幼虫で過ごすのもいるし、成虫になってからも2週間、3週間、長いのは1ヶ月くらい生きるのもいる、らしい。昆虫の生態って、わかっているようでわかってないことも多いんですね。こんなにも身近なのに。だから観察して発見する面白さがあるんだと思う。
そんなセミの一生を見て、地上で暮らせるのは短い短い儚い命、と思ってしまうのは、人間の感覚だと思う。彼ら彼女らにとって、人生のほとんどは土中で暮らす。幼虫として。これを「幼虫」と呼んでしまうことから誤解が生じてるんだと思うんですね、僕は。あの姿は「幼虫」ではなくて、まさに「セミ」の本当の姿。しかしそのままでは繁殖できないので、その人生の最期の最期に地上に出て来て、繁殖活動を行い、子孫を残して死んでゆく。そう考えると、土中の「幼虫」は「幼虫」ではなくて「成虫」で、僕らが見ている地上の喧しいセミは、いわゆる「繁殖態」と呼ぶのが正しいのではないだろうか、などとセミの気持ちになって考えてみたのでした。どうでもいいですか?
そんな静かな雨の朝。本社棟の裏手の草木の中に、こんな花が一輪だけ咲いています。調べてみたら「ヒルザキツキミソウ」。北米原産の多年草で、こないだのヤナギバルイラソウのように強い繁殖力で、日本全土に広まってます。まあ、可愛らしいので、雑草扱いにはされません。雑草という名前の植物はないし。
その向こうにはマルバツユクサの群生。この季節、草が生えて生えて大変やけど、楽しもうと決めると、いろんな草花の美しさが目に止まるように、なるのです。牧野博士のようにね。
と、ここまで書いたら雨が上がって、セミの声が。頑張って繁殖しいよー!