清瀧さんと青龍寺と大綱と返盃〔7413〕2023/08/02
2023年8月2日(水)晴れ!
暑いね。暑い。でも、台風も気になります。台風の影響でしょうかね。今日の夕方からは雨の予報。で、週間予報も梅雨時よりも雨マークが多い1週間。台風6号は、この週末に沖縄の界隈でUターンしてこっちへ向かうみたい。やめて欲しいねー。よさこいも近いのに。
で、今日の午前中は、まだお日様ギラギラ。夏の日差しがすさまじい。そんな午前中、仕事で土佐市へやって来ました。元々は、高岡町。その前は高岡村。その地名と関係あるのかないのかはわからん高岳親王がやってきたのは9世紀のこと。で、昭和34年に市政が施行される際、本来なら高岡市になるところ、富山県に高岡市があったので高岡市にはできずに、土佐市という名称になったという歴史。
人口は25,000人やけど、面積は、高知県内11市のうちで一番狭いんだそう。なるほど。宇佐も土佐市やけど、それを併せても狭いんやね。
その高岡には、35番札所の清瀧寺さんが鎮座まします。清瀧山の高台に鎮座まします清瀧寺。きよたきじ。で、その次の36番札所は、横浪半島の先っぽ近くに鎮座する青龍寺。しょうりゅうじ。ご承知の通り、この2つの古刹の名前は、さんずいがあるかないかだけの違い。弘法大師が唐の長安で密教を学び、日本にも同じように青龍寺をつくりたい、と、東の空に独鈷杵を投げたところ、日本へ帰ってから横浪半島の先っぽで見つけたので、それにちなんで青龍寺を創建した、という由緒。
で、長安の青龍寺の青龍権現が海を渡ってくる際に「さんずい」が付与されて、清瀧寺ができた、みたいな話ね。まあ、伝説はともかく、関係は深いのでありましょう。
どちらも密教の古刹で、山を登ったところにあります。なので、明徳時代の朝青龍が青龍寺の石段で足腰を鍛え、それが四股名の由来になった、という有名な話も。
清瀧寺さんも山の中腹。その麓は、仁淀川の沖積平野で、地質を見るとこんな感じ。地盤は緩いらしく、高知自動車道を通ると、こんな看板が目につく、それほどに緩い地盤。
そんな場所に縄文後期の人骨遺跡がある訳で、この界隈、太古の昔から人々が暮らしてきた土地なのでした。
そんな高岡では、この8月19日、4年ぶりに「大綱まつり」が開催されます。江戸時代から続く「大綱」。賑やかになるでしょうねー。
実は。コロナになってから、土佐の「返盃」文化は、県からの自粛要請もあって完全に無くなってました。が、去年末頃から、高岡界隈では復活してきているらしい、という噂を耳にしていました。最近、高岡ではほぼほぼ「返盃」が復活している、とも聞きます。コロナがまたまた増えてきているらしいけど、大綱ではどんな風景になるのか。コロナ対土佐文化の、新しい戦いが、今、はじまる。