白滝鉱山の思い出〔7409〕2023/07/29
2023年7月29日(土)晴れ!
今日も暑いねー。暑い暑い週末。
今朝は嶺北に仕事で行ってたので、少し足を伸ばして大川村。それも、白滝。車移動する今となってはいつでも行けるのに、いや、いつでも行けるからこそ、実際に行ったのは何十年振りだろう。まだ僕が営業の若手だった頃、一度、行きました。なのでそれから少なくとも35年は経過してます。すっかり変わり果ててて、往時の面影はまったくなくなっている、白滝。
大川村の役場のところから朝谷川という川筋を7kmちょっと遡上したところにある、白滝。かつて、元禄12年に採掘が始まったという鉱山がありました。一般に銅山と言われるけど、班銅鉱などのいろんな鉱床があって、最盛期には鉱山周辺に2500人が暮らしていたというから、すごい。
今、車で行ってもなかなかの山奥やけど、採掘した鉱物をどうやって搬出していたのか。それは、索道。索道によって瀬戸内海の伊予三島まで運んでたんだって。いや、すごい。
その白滝鉱山は、国内産の銅不足や採算の悪化によって、昭和47年に閉山したのでした。僕がその地に足を踏み入れたのは、高校生のとき。だから昭和53年か54年のこと。つまり、閉山してからまだ10年も経ってなかった頃なのか。以前、その時のこと、書きました。
高校の友人M君と二人で、国鉄土讃線に乗って大杉駅へ。そこからバスに乗って土佐町の田井。田井では、今もある「富士見館」という旅館に泊まりました。翌早朝出かける際、旅館のおばちゃんがおむすび作ってくれたの、覚えてます。
そこから大川村までは、ヒッチハイク。幸い、すぐに車に乗せてくれる人が居ました。車の中で話を聞いてると、なんと運転していたのは大川村の村長さんだったのでした。
目的地が白滝廃坑であることを言うと、役場を通り過ぎて白滝まで乗せてってくれた、やさしい村長さん。
あの日は、小雨降る白滝。廃坑時、417戸を数えた集落はゴーストタウンとなり、その後火事があったこともあって、まったく人気もありませんでした。鉱山の入り口のところには講堂のような建物があり、その中の黒板には、採掘量とかの数字がチョークで書き込まれたまんまの状態だったのを覚えてます。
かつての集落には、銭湯、パチンコ屋さん、郵便局などが廃屋となって残され、住居に残された書物や平凡パンチ、ノートなどに生活の匂いが残っていた、そんなすごいゴーストタウン。
大学生になってから1度、社会人になってから1度行ったけど、その頃は、まだ、そのまんま残っていた集落跡。その後、鉱山前の講堂は取り壊されで水耕栽培のハウスが建ち、かつての集落は「自然王国白滝の里」という自然体験の施設ができて、かつての面影は完全に消滅してしまったのでした。
あまりにも面影が残ってないので、「自然王国白滝の里」の事務所へ行って、銭湯やパチンコ屋さんのあった場所を尋ねたところ、どうやらこの界隈ではないか、という場所を教えてもらいました。当時の航空写真では、こう。ここに、銭湯もパチンコ屋さんも郵便局も、あったのか。
すべてが鬱蒼とした樹々に溶けてなくなり、ここに銭湯の廃屋が1軒だけ。しかし、この銭湯は、45年前の僕の記憶にある銭湯ではない。この向こうにポストが立っているけど、その郵便ポストが郵便局の痕跡なんだとしたら、この向こうに、45年前、ゴーストタウンになって間もない集落が存在したのか。
夏草の中、半世紀近く前の記憶を引っ張り出しながら、かつて2500人が暮らしたという白滝鉱山に想いを馳せる。