吉野ヶ里と田村〔7365〕2023/06/15
2023年6月15日(木)小雨
こないだ、吉野ヶ里遺跡の「謎のエリア」で大きな石棺墓がみつかって発掘されている、という話、書きました。邪馬台国論争に一石を投じる可能性がある、ということで、佐賀県は知事が先頭に立って広報につとめてたよね。
で、昨日、概ね発掘が終わって、いろんなことがわかったりわからなかったりした報告が、ありました。まずは、石棺の内側は赤色顔料で塗られていた、という事実。これは、専門家の方も言うてますが、かなり身分の高い人のお墓であることを示しているんだそう。そして副葬品は、なし。
どうやらその時代って、古墳時代とかと違い、副葬品に派手なものはなかった時代、とのことなので、これは予想されたこと。例え卑弥呼のお墓だったとしても、副葬品は質素である可能性が高いから。
石蓋を外した段階で、内部に土が入り込んでいることがわかって、これで人骨とかを期待するのは無理だ、とは思ってました。せめて、歯でも、と期待してた人も多かったと思うけど、残念。その土に染み込んだDNAを調べることで性別くらいはわかるかも、という報道。僕としては、どこかにちゃんとこの土を保管して、DNA解析技術がもっとずっと進歩した頃に調べてみたらいいと、思う。
ともあれ、「皆さんお楽しみ頂けましたでしょうか?」という感じやね。こないだも書いたけど、色々と想像して妄想している時が、かなり楽しい。邪馬台国がどこにあって、卑弥呼の正体は、みたいな議論は、なかなか結論が出ないので楽しかったりするのでありましょう。だから、お楽しみはまだまだ続くのでした。
今回の一連の発掘調査と報告は、佐賀県が、意識的に煽った側面はあります。認めてますもんね。それに対しての批判もあるみたいやけど、まあ、いいんではないでしょうかね。盛り上がったし楽しかったし。毎日午後3時から、現地生中継で進捗を報告する、という手法はなかなかのものでありました。
邪馬台国が九州なのか畿内なのか、という議論は、邪馬台国が弥生末期なのか古墳初期なのか、という議論に帰結する、という人も居ます。邪馬台国が弥生時代であれば、それは九州だ、と。それが吉野ヶ里かどうかは別にして。
ここはこないだもご紹介した、高知空港北西の「やよい広場」。空港滑走路の下にある広大な田村遺跡を紹介する公園。ここにも、弥生のロマンが溢れてます。
土佐の弥生に注目して、その成り立ちや歴史を鳥瞰してみたら、楽しいかも知れない。どこでどうやって始まり、どういう広がりを見せていったのか。そして、弥生終末期に突如として田村の弥生集落が消滅したのは何故なのか。そんなこんなをまとめて鳥瞰する。
そうそう。田村の弥生集落が突如消滅したのは、気候が関わってると思ってます。で、トドメを刺したのが物部川の大洪水だ、と。まあ、妄想です。
妄想している場合ではなくて、そろそろ仕事を始めよう。