早朝の新宿ゴールデン街と、都電軌道跡〔7346〕2023/05/27
2023年5月27日(土)晴れ
そんな訳で、今朝も東京。今朝も新宿。朝5時過ぎに起き出して、たつくってきました。更新世段丘が河川で開鑿された地形を、足で確かめながら。
昨日ご紹介した戸山公園は、こんな感じで、段丘の斜面と谷の地形を利用した庭園が、その元になってます。徳川御三家の資力と権力を利用してつくられたのでありましょう。今朝は、その谷間を遡上してみました。谷頭のひとつは新宿御苑。信濃高遠藩内藤家の広大な屋敷跡。まあ、当時の新宿は江戸のかなり郊外だったので、土地は自由になったのかも知れんけど。
で、この起伏図見たら、もうひとつの谷頭が歌舞伎町界隈だったことがわかります。土曜早朝の歌舞伎町。たぶん、まだ歌舞伎町の夜は明けておらず、多くの若者がフラフラしているのは想像できたので、今朝は歌舞伎町ど真ん中には立ち寄らずに、その東側。
そう。有名な新宿ゴールデン街界隈。すごいね。早朝のゴールデン街。もちろんまだ営業しているお店もあって、独特の不思議な雰囲気を醸し出しておりました。
昔、人類が狭い路地が好きなのは哺乳類だから、などといった暴論を書いたこと、あります。旭地区の再開発で高知新聞さんにコメントを求められ、新聞紙上でも開陳したことのある、暴論。でも、その理由はともかく、広くておしゃれなお店より、狭い路地で飲むお酒の方が圧倒的においしいよね。少なくとも僕は。
新宿ゴールデン街は、終戦直後の闇市を起源とします。新宿駅東側の闇市。そこが、GHQの指示で撤廃されるに際し、都と警視庁の命によって移転してできたのが、ゴールデン街。なので、そこは繁華街から外れた場所だった。が、歌舞伎町の発展とともに、ゴールデン街も賑わったという歴史。有名なのは、文人や芸能人に愛されたこと。文人ならばゴールデン街へ行け。そりゃあそうだ。人間の本質を追求する文人にとっては、人間の本質が溢れ出るゴールデン街は欠かせない。
バブルの頃、地上げで再開発の危機に見舞われたものの、なんとか凌いで今に至る。よかったねー。
そのゴールデン街の裏手に、「新宿遊歩道公園ー四季の路」という緩いカーブを描いた細長い公園があります。これはもう、どう見ても電車軌道の痕跡だ。このカーブ。
調べてみると、昭和46年に廃止された都電13系統(新宿ー水天宮)の軌道跡。今昔マップで過去の地図、写真をみると、はっきりわかります。戦前からあった、都電の軌道。
つまり、新宿ゴールデン街は、そんな電車軌道脇の土地にできた訳だ。電車の高架下に繁華街ができたアメ横とかと似た成り立ち。
ウィキみると、あの路地はすべて私有。なので、勝手に写真撮ったりしてはいかんのだって。なので、今朝は裏手の都電跡のカーブを撮影してきました。なので、ゴールデン街の街並みはストリートビューでお楽しみください。土曜早朝の公園。歌舞伎町とゴールデン街に挟まれた公園を歩く人は、みんな、フラフラしてます。まっすぐ歩いてないのが、楽しいね。
ディープな東京を垣間見て、今日は高知へ帰ります。なかなか有意義な東京でした。