端午の節句、女の家〔7324〕2023/05/05
2023年5月5日(金)薄曇り
GWも後半。街、ひと、出てるみたい。道ゆく車も県外ナンバーが多いし、なんか、懐かしい感じ。こんな風景4年振りですきんね。3年前のGWは、ひろめ市場も閉まってて、静まりかえってた記憶があります。やっと戻ってきた日常、非日常。観光客さんにとってに「ひろめ」は非日常でしょうきんね。
で、今日はこどもの日。端午の節句。5月5日。
昔は、あちこちの家に鯉のぼりや幟はフラフが翻っていたけど、もう、都市部ではほとんど見なくなりました。子供の数も減ってるけど、そもそも鯉のぼりを上げて祝う風習がなくなってきてます。
それでも、田舎へ行けば、今でも鯉のぼり、幟、そしてフラフを見ることはできます。こういう文化っていつ頃からあるのか知らんけど、今読んでる、かの大森貝塚を発見したことで有名なエドワード・モースさんが書いた手記「日本その日その日」にも出てくるので、江戸時代頃からは存在したようです。どうやら江戸時代中期に始まった風習みたいね。男子の誕生と健やかな成長を願った風習。女の子は桃の節句で男の子は端午の節句、ということで、「男はこうあるべし、女はこうあるべし」みたいな儒教的思考が広がったのっが江戸時代中期なので、そんな思想、思考と関係あるのかも、知れません。
昭和51年高知新聞社発行の「高知県百科事典」を見てみました。「端午の節句」の項目。
これには、庭先に鯉のぼり、武者絵の大幟を立て、武者人形を飾り、菖蒲、ちまく、柏餅などを備えるという、僕らにお馴染みの風習が書かれてます。そして盛大な祝宴が催され、菖蒲酒を飲み、菖蒲湯に入り、菖蒲を頭や帯に巻いたりして、無病息災を願う、と。こういう風景も、もう、都市部では見んなったねー。
あと、興味深いことが書かれてます。5月4日を「女の家」または「今晩は女房の家ぞ」という言葉が、県下各地に残っている、とのこと。昭和51年当時。
これは、古代の田の神祭りに女性が奉仕するため、菖蒲やカヤで屋根を葺いて籠り屋をつくり、幣を中空に立てて神の招ぎ代として、忌み籠りの生活に入ったことを暗示しているんだそう。ようわからんけど、要するに、大昔にあった古代の神祭りの習俗が、女性の地位の低下とともに男性中心の節句へと変化していき、その大昔の名残が土佐の一部に残っている、という説ね。なるほど。この辺にも、土佐独特の女性が強い社会が見て取れたら面白い。
写真は、今朝の土佐山田東部。物部川に架かる神母ノ木の橋の手前。ここには、何軒かの染め物工場が並んでいます。ここへ行くと、今も、鯉のぼりやフラフを見ることができます。残していきたい大切な、風景。