踏切警告灯はどこへ〔7319〕2023/04/30
2023年4月30日(日)曇り
4月も今日でおしまい。はやいねー。はやい。
そして、GW、始まりました。昨日今日は、少しお天気が良くないけど、ともかく始まりました。とは言え、牛乳工場は平常通り今日も稼働しておりまして、みなさん頑張って仕事してます。僕も、今朝は早朝に会社へ出掛けてひと仕事。その後、高知市内へと帰ってきました。
ここは、JR土讃線の高架の下。旧愛宕踏切から少し東へ行ったところ。この高架工事が完成し、高知駅が新しくなってから、はや、15年が経過。はやいねー。ついこないだのことやのに、もう15年。
旧駅舎の最終営業日は、2008年2月25日。そして翌日から、現在の駅舎での営業が始まりました。が、当初は、旧駅舎の取り壊しとか、旧線路、踏切の撤去などで、工事は続いておりましたですねー。
高架での営業が始まって4日目、2008年2月29日に、撤去されたばかりの踏切警告灯が積み上げられているのを撮影してます。今朝は、その同じ場所へ行ってみました。こんな感じ。高架の下は駐車場などになってて、すっかりと風景も変わってしまいました。
あの、積み上げられてた踏切警告灯とか、どうなったんだろう。見た感じ、まだ全然新しかった。JR四国さんの備品、予備の警告灯として保管したのかも知れません。まあ、どうでもいいですが。
今から15年前当時は、JR四国の踏切は、警告灯や遮断機すべて「自動」でした。あの、踏切番が常駐している手動の踏切がなくなったのはいつ頃だったろう。
高知駅周辺でも、駅東側のこの踏切とか、この踏切、そしてこの愛宕の踏切などには踏切番が常駐してたよね。で、手動で、踏切を上げ下げしてました。
特に、ここのすぐ東の、この踏切。ここは、高知駅での貨車の入れ替え作業などの際にここまで貨車列が伸びてきてて、開かずの踏切になったりしてたの、覚えてますか?
ああいった作業になると、手動でないと対応できませんね。毎回貨車の長さも違うし、状況も変わる。踏切番さんが、職人技で踏切の上げ下げをしていた、そんな風景を思い出します。
今は昔。そんな風景があったのは、ここが高架になる30年ほど前でしょうか。ついこないだのことやのに、もう半世紀近く前のこと。はやいねー。
それはともかく、あの、ここにあった踏切警告灯はどこへ行ったんだろう。