銀座四丁目の間口〔7217〕2023/01/18
2023年1月18日(水)薄曇り
そんな訳で、東京。昨日、なかなか重要な案件についての業界の寄り合いがありました。農水省の役人さんにも来て頂いて、中身の濃い話し合いができたのでした。それにしても全国、地域地域によって環境や状況が随分違うものだと実感。酪農乳業、長期的展望のもとに頑張らなくっちゃね。
その辺の現状認識、現在担当の役人さんもキチンと把握していて、しているけど、大手さんの強い思惑とかが錯綜して、長期的視野での業界将来の絵を描きずらいことになっていることも、よくわかりました。なんだかね。まあ、僕は、酪農家さんとともに、将来を見据えて生きていくつもりです。
写真は今朝の銀座。有名な銀座四丁目交差点。ランドマークの、和光の時計台が6:18を示しています。
この素敵で象徴的な建物は、昭和7年、1932年に、服部時計店の建物として建てられたもの。もう、90年を超えるのに、この美しさ。銀座と言えばこの建物を思い浮かべる方も多いんではないでしょうかね。特に僕らのほうな地方人は。
服部時計店の小売部門が独立し「和光」となったのが昭和22年。この建物、戦後は進駐軍のPX、つまり売店として接収されてましたが、昭和27年接収解除となって、和光本店となったのでした。戦争で焼けんかったのが、幸いやったねー。
ここに初代の時計塔が建てられたのは明治27年(1894年)。日清戦争が始まった年だ。この和光さんのHPで、往時の写真を見ることができます。
交差点に面して、こんな感じで店舗をつくる。これは、画期的なことだったと言います。交差点部分を斜めに切り取って間口を広くする。そのことで、交差点を利用する買い物客の目を惹き、利便性も高まる。
これは、西欧の街並が取り入れられた景観。
江戸時代、日本には「間口税」というのがあって、間口の広さに税金がかけられてました。有名なのは京都で、間口が狭い鰻の寝所状態の町屋が並んでいるのは、その課税方式が生んだ景観と言われてます。江戸でも、間口に税がかけられるとなると、こんな風に角を斜めに切って間口を広くする、などということは行われず、交差点は真四角であった。そんな江戸の街。その課税方式が撤廃され、明治の世の中になって西欧の文化が入ってきて、この交差点の美しい景観が生まれることになった、という訳だ。
与えられた環境の中で、人々は、精一杯暮らしてゆく。環境を与える立場の人たちは、将来を見据えた大きな視野でいてほしい。そんなことを思う、未明の銀座。