五台山、稲生、衣笠〔7163〕2022/11/25
2022年11月25日(金)快晴!
朝晩は少し冷い季節になりました。でも昨日の昼間とかは、車ではエアコンかけるくらいの暑さ。この寒暖差。季節を身体で感じることができて、嬉しい季節。平野部でもそろそろ紅葉が始まりました。今朝、会社でふた仕事ほど済ませてから、高知市内へ用事で向かう途中、五台山に寄ってみました。竹林寺さんの紅葉も始まっています。ピークにはもうちょっとやけど、今でも上等に美しゅうございました。
牧野植物園南園玄関前から南へ、車道を少し下っていくと、正面になかなか美しい風景が見えたので、撮影してみました。谷間に立ち込める白い煙。あそこは、石灰で有名な稲生。いなぶ。その北側に、今はもう採掘が終わってしまった石灰山。鉢伏山。
稲生という、昔からありそうな地名は、明治9年に下田村と衣笠村が合併してできた新しい地名、という話は以前にも書きました。地名は、その土地の成り立ちを示していたり歴史を表現していたりするケースも多いけど、このように人工的につけられた名称も多いので、注意が必要。衣笠村については、かの、紀貫之さんが土佐へ赴任した際に、京の衣笠に似ていることから命名した、という話が伝わっています。なかなか美しい話やけど、そこには深い意味が隠されているのではないか、という妄想を暴走させたことがあるので、ご興味にある方は、これ読んでみてください。妄想です。
五台山という名前。衣笠村という名前。稲生という名前。それぞれに命名の理由があり、思いがあり、歴史がある。
さて。稲生と言えば石灰。仏像構造線の北、秩父帯の南端には良質な石灰岩が産出する地層が東西に長く延びてます。昨日一昨日に書いた三宝山もそう。
このシームレス地質図に、青く描かれているのが石灰岩層。この、東西に伸びる石灰岩層は、太平洋、はるか南の浅海で形成された珊瑚礁などが、長い長い年月をかけ、フィリピン海プレートに乗って北上してきて、付加帯となったもの。その由来から、良質な石灰となっているのでした。南海地震をもたらすフィリピン海プレートの北上は、僕らに恵みをもたらしてもいるのでした。
石灰岩層があり、そこが水に恵まれた土地である場合、鍾乳洞が形成されます。その、石灰岩によるアルカリ土壌の洞窟は、旧石器時代から人々が暮らすのに適している上に、骨が残りやすい、てな話は幾度も書いてきました。
それを念頭に、今一度地質図を見てみよう。
まだ、隠された石灰岩層もありそうだし、見つかっていない鍾乳洞も、ありそう。旧石器時代人になったつもりで、今より100m以上も海水面が低かった風景の中、どこでどうやって暮らしていたのかを想像する。すると、どこを調査したら面白そうか見えてくるような気もしますね。いや、素人の妄想です。
妄想はこれっぱあにしちょいて、さあ、仕事仕事!