国分川、田辺島、ぢばさんセンター、98豪雨と市街化調整区域〔7160〕2022/11/22
2022年11月22日(火)晴れ!
良いお天気の朝。今朝は、高知県産業振興センターさんに用事があるので、その界隈の風景を撮影してみました。鉢伏山の上に昇る朝日。美しいねー。ここは国分川を渡る橋の上。左手に、ぢばさんセンターと産業振興センターが見えてます。
言うまでもないけど、この地形分類図を見るまでもなく、ここは嘗て、海でした。広くて浅い古浦戸湾は、この向こうにまで広がっていたのでした。打ちっぱなしのネットから遡上した堤防沿いに、こんもりした小山が見えます。田辺島。たべしま。その名の通り、古浦戸湾に浮かぶ島だった、田辺島。戦国期になると大津とは陸続きになっていたと思われます。あの小山の上には、長宗我部軍の猛将、福留隼人を祀る隼人神社が鎮座ましまし、地元では「はいとさん」と親しまれ、尊崇されています。
そして、田辺島の周囲に集落が存在するけど、その他はほとんどが、田んぼ。こんな感じ。この十字の場所から撮影してます。土砂の堆積や灌漑が進み、陸地が増えてきてからずっと、ここは田んぼだったのでありましょう。
そんな田んぼの真ん中、国分川沿いに「ぢばさんセンター」ができ、産業振興センターができ、機械工業団地がつくられたのは1980年代後半。あの、懐かしいバブルの頃。僕が営業の仕事を始めた頃だったでしょうか。そうそう。ぢばさんセンター建設の直前、黒潮博覧会というのが開催されたねー。丁度、高知空港もジェット化され、高知もなんとなくイケイケどんどんやった時代。そんな時代もありました。
機械工業団地やぢばさんセンターはできたけど、この界隈は広域にわたって市街化調整区域のまんま。そう。そのお陰で、高知市の市街地に近いのに、言うまでも田んぼが広がって美しい風景を見せてくれています。いいねー。
あの98豪雨では、この界隈、水没してしまいました。元々が海で、陸地化が進んだ後も、遊水地帯のような場所だったこともあり、すごいことになってしまいました。その時の写真、このページから見ることができます。すごいね。
今思えば、ここが市街化調整区域であったことは、不幸中の幸いだった。もし、調整が外されていたら、高知の市街地に近くて交通の便が良い土地には、あっという間に住居や店舗などが立ち並んで、街となっていたでありましょう。住宅団地ができていたかも知れません。そんな街に、あの洪水が押し寄せたらと想像すると、背筋が寒くなる。
人口が急減し始めた現今の高知で、ここの調整を外すこともないだろうし、古浦戸湾からつづくこの美しい風景、福留隼人が田辺島の上から眺めた風景は、美しいままであり続けるんだろうな、と、思いながら写真撮ってきた、朝。