相生町の光善童子〔710〕2005/03/26
2005年3月26日(土)素晴らしい春の一日
ポカポカと暖かい、良いお天気の高知市内です。昨夜高知へモンて来ました。今日は土曜日なんで、少しいつもと違う方面へ来てみました。ここは相生町。
高知駅前の通りを東へ行きますと、右手にコンフォートホテル(以前は高知第一ホテルでした)がありまして、その東の交差点を左折すると、鉄道高架工事に突き当たります。昨年までは、ここが相生町踏切でして、これを渡って北へ進むと新本町から比島方面へと抜けるようになっちょりました。ひまわり太郎が子供の頃は、南国バイパスや大津バイパスも無かったので、この相生町踏切を渡って比島を抜け一宮から逢阪峠へ向かうのが国道32号線でした。つまり、高知の表玄関、幹線道路やったがですな
が、しかし、高架工事と区画整理にともないまして、その南北の道は東へ50m程移動し、相生町踏切も、そちらへ移動しました。写真の向こう側に見える踏切が、新相生町踏切。この場所から手前へ10m程引き返したところが旧相生町踏切。
が、しかし、この鉄道高架工事が完成して高知駅が新しゅうなりますと、この踏切は役目を終えます。高知駅周辺もどんどんと様変わりしていきますんで、記録に残しちょきたいところですね。
この溝ゴ沿いに素朴な像が立っちょりました。なかなか普段は気付かんですね。台座には「南無阿弥陀仏」「南無大師遍照金剛」と刻まれ、その下に「光善童子」と彫られちょりました。街が変わり、風景が変わっても、道端に置かれた「ヒトの想い、気持ち」みたいなものはどこかへ残していきたいもんです。
てなことを朝の日差しをひねもすのたり浴びながらぼんやり考えよりました。