小富士から昇る太陽〔7098〕2022/09/21
2022年9月21日(水)秋晴れ
台風が夏をすっかり持ち去ってしまいました。朝の涼しさは、すっかり、秋。空の色も濃く青く、秋の雲が広がる季節になりました。いや、夏から突然の秋。そんな感じね。
ここは介良。昭和47年に高知市に併合されるまで、長岡郡介良村だった、介良。けら。その村役場は、、この左手にありました。つまりこの道が、介良のメインストリート。近年道路が拡張されて広くなりましたねー。以前はこんな感じやったのに。このまっすぐな道、その向こうでカーブして、介良山の北麓を東へと向かう道。
で、正面の山。介良山。小富士山とも呼ばれるのは、このアングルで眺めたら理解できます。そして富士山に似ているからでしょう、その麓に鎮座ましますのは朝峯神社。ご祭神が木花佐久夜姫ですきんね。ご存じ富士山信仰の浅間神社のご祭神。
秋分の日が近い今、介良のメインストリートから見ると、小富士山の向こうから朝日が昇る。こないだの金剛山と同じだ。神々しいねー。
この地は古浦戸湾に面した、古い古い土地。ここに住んだ人々が、この神々しい山を見て、神の存在を感じなかったはずは、無い。しかも。以前に行ったことあるけど、朝峯神社拝殿の裏手にある女人禁制の古い石段を上がると、そこには大きな女陰石。ご神体。
介良に住む人々の、いや、もっと広いエリアに住む人々の信仰を集めたのは必然だったのでした。
ここに成立したという荘園は、いつどのように成立し、その当初の領主は誰であったのかは、わかってません。暦仁年間と言いますきに1238年頃、伊豆走湯山密厳院に寄進されたという、足利直義下知状があるらしいので、その頃からは間違いなく源家に関係のある荘園になる訳やけど、それ以前がわからない。
そう。こないだも書いたように、あの山には頼朝の同母弟、源希義さんを埋葬した西養寺跡があり、希義くんは、介良に流されて居住したとされてます。なぜ、介良だったのか。源家と関係があったのか。その辺、ちゃんと調べてみたいねー。
朝日が昇る、神の山。登ってみると、秩父累帯南帯特有のチャートの巨岩がゴロゴロしていて、それにも神が降りてくると古代人は考えたかも知れません。それらしく祀られた磐座もあるし。
社会は変わり、風景も変わるけど、山には、、太古の昔からの人々の思いがいろんな形で残っている。