新猪ノ鼻トンネル〔7070〕2022/08/24
2022年8月24日(水)晴れ
久々に国道32号線を走って香川方面へ。早朝の国道は空いてて、景色もよくて気持ちいい。こんな渓谷に道路を通した先人の努力には驚きます。すさまじい工事だったことでしょう。大歩危小歩危は言わずもがな、川沿いに道路をつくりという作業は想像を絶するものだったと推察できます。
昔の街道は、渓谷沿いではなくてもっと高い場所、尾根をうまく使ったルートだった理由は、よくわかるね。
で、その国道32号線のルートを最初に考えた人物は、香川用水や瀬戸大橋も発想したという讃岐人、大久保諶之丞さん。すごい発想力。その発想により、高知県は徳島や香川と道路でつながり、少しづつ陸の孤島状態から脱していったのでした。
もちろん大歩危小歩危などの渓谷も、難所。そして、阿波池田と琴平の間、阿讃国境に聳える猪ノ鼻峠も、なかなかの難所でした。
それまで、人馬の往来も少なかった阿讃国境の猪ノ鼻峠に、大八車や馬車、人力車が通れるような道路を築いたのが、明治27年のこと。以前、一度行ったことあるけど、その峠へ登る道は傾斜が緩く、人力でも車が引けるような緩やかな坂道でした。そして峠界隈には、十数軒の運送業者、旅館などが並び、昼でも三味線の音が聞こえたと言います。今は昔。
現在その峠には往時を偲ばせる痕跡はなにもなく、人の行き来もない、荒れ果てた峠になっていました。
それは、昭和39年に国道の猪ノ鼻トンネルが開通したから。便利なトンネルの開通で、旧道を利用することはなくなり、急激に寂れたという猪ノ鼻峠。
新しい猪ノ鼻隧道が開通した国道は、池田と琴平をつなぐ便利な道として栄え、道路沿いにはたくさんのレストラン、ドライブインなどができたのでした。幾度か書いてきたように、僕は子供の頃、長休みのたびに三好町昼間の親戚んちに泊まりに来てたけど、時々、その猪ノ鼻トンネルへ上る道路沿いの、おでんが美味しいレストランに連れていってもらいました。今は昔。
高知自動車道ができて、国道を通る自動車が激減し、道路沿いにたくさんあったドライブイン、レストランは悉く廃業したのでした。今も、いくつかは廃墟になって残ってます。
それでも、その道は、池田と琴平を結ぶ道として重要な道路ではありました。
そして、一昨年の12月。
猪ノ鼻道路が開通。池田と琴平が、劇的に近くなりました。交通量も増えて、阿讃国境が障壁ではなくなり、往来する車も増えました。写真は、今朝の猪ノ鼻道路、新猪ノ鼻トンネル南入り口で撮影したもの。池田と琴平は、文化的にくっついたのかも知れません。阿波池田から金毘羅さんへ、しゅっとですきに。
しゅっとなので、峠が栄えることもなければ、道路沿いのドライブインが栄えることも、ない。便利になることで消える賑わい。消える産業。
便利になることは便利になることやけど、みんながみんな豊かになるのは難しい。高速道路と新幹線と大型ショッピングセンターの日本列島って、便利やけどね。便利になることは便利になることやけどね。そんなことを考えさせられる、朝の国道。それはともかく、仕事を始めよう!