山内会館、容堂侯、鯨海酔侯〔707〕2005/03/23
2005年3月23日(水)降ったり曇ったり
今、土讃線の汽車で中村へ向かいながらこのにっこりを書きよります。暖かい雨の朝になった高知県地方です。
写真は、今朝の鏡川、龍馬スタジアム前から対岸を眺めたところ。この森は山内神社の森です。江戸時代を通じて土佐国の殿様として君臨した山内家の神社ですね。
写真正面の少し右、白っぽい幕のかかった建物が本殿。さすがに立派な建物です。
で、とてもとても判りにくいのですが、その少し左に、山内容堂侯の座像の背中が写っちょります。
左端の建物は「山内会館」。でしたが、最近営業を終了し、山内宝物資料館の事務室などとして利用されゆうにかありません。
容堂侯は、山内の殿様の中でも初代一豊さんの次に有名な殿様。第15代の藩主で(ちなみに土佐藩主は16代まで)、優れた指導者でした。吉田東洋などを大抜擢して藩政改革を推し進め、土佐が幕末に活躍できる土台を築いたのはまぎれもなく容堂さん。功績のなかでも有名なのは15代将軍徳川慶喜公に大政奉還を建白、実現させたことでしょうか。おかげで殆ど血が流れない革命が成し遂げられたと言われちょります。
とにかく土佐人らしい大酒飲み。山内家は戦国の後土佐へやって来た上品な家柄やったがでしょうが、260年も経つと土佐の酒飲みの血が濃ゆうなっちょったがでしょう。はは。
「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」は、容堂さんが好んで使うた号。大酒を飲みながら幕末を駆け抜け、大きな仕事を残した大人物でありますね。