久々の宇佐、安政地震の碑〔7064〕2022/08/18
2022年8月18日(木)小雨
曇ってましたが、先ほどより小雨。週間予報みると雨マークが多いですねー。それで、朝の最低気温が27℃とかが多いみたいなので、蒸し暑い残暑が続きます。よさこいが終わり、夏休みも終盤に差し掛かる訳やけど、コロナの情勢が気になる夏になりました。
人類にとっては、地球と折り合いをつけていくことが太古の昔からの課題であり、それは、いろんな技術が進歩してからも変わりはないことが、今回のことでよくわかりました。地球が人類にもたらす災厄を「征服」するのは、無理ということ。折り合いをつけていくことが、大切。
今朝は、横浪半島の明徳義塾さんへ向かってます。お仕事。その途中、久々に宇佐で、安政南海地震の碑に立ち寄ってきました。第三十五番札所、清瀧寺から第三十六番札所青龍寺へ向かう遍路道の道端に、その供養の地震碑は、立っています。塚地峠から宇佐へ降りてきたところ。
この地震碑は、安政南海地震から3年後、安政4年11月に地元の有志によって建てられた、地震碑。完成した際には、地震後の日記を残したことで有名な真覚寺住職、静照さんが法要を執り行いました。
静照さんによると、この碑を建てた目的は、3つ。
1番目は、南無阿弥陀仏を刻み、お経をおさめて地震・津波の犠牲者を「追福」すること。
2番目は、震災津波の様子を詳しく刻み付けて、後世への戒めとすること。
3番目は、ここが遍路道であってお遍路さんの通り道であることから、通りがかった人々が手を合わせてくれ、それが来世の縁になり、人の心に善心を生じさせ、善い報いを招くことになる、ということ。
地震・津波被害から3年。やっと、こういう取り組みができるようになった、ということでしょうか。この丸い碑には、こんな感じで被災の様子が刻みつけられています。向こうの塚地峠から降りてきたお遍路さんは、この碑を読み、手を合わせたでしょうか。
今はかなり読みにくい状況。もしきれいに残ってたとしても、この文字はなかなか現代人には読めない。
この日のにっこりで、現代文に読み下してますのでご覧ください。
いくつかの重要な示唆が、刻まれています。
宇佐は海岸が高く、奥の方が低くなっているので、岩崎、福島の低いところから津波が入ってきて逃げ道を塞ぐように取り巻く、ということ。舟を漕いで沖へ逃げようとした者は、流されたということ。山へ逃げる際にも落石がない場所を選ぶ必要があるということ。とにかくすぐに山へ逃げること。
願わくば、この内容、現代文を、この地震碑の横に掲示して欲しい。それが、この碑を建立した地元の皆さんや、静照さんの願いであったから。
巨大堤防を構築するのもいいけど、まずは、逃げることの大切さを教えてくれます。地球が人類にもたらす災厄を「征服」するのは無理だから。