昭和の地震と安政の地震と〔7065〕2022/08/19
2022年8月19日(金)晴れ!
爽やかな、朝。空は晴れて涼しい風が吹き、久々に爽やかな朝になりました。夜中、扇風機も止めてましたね。よさこい終わったね、という感じの朝を迎えました。
昨日、宇佐の安政地震碑のこと、書きました。実は、宇佐には、昭和南海地震の震災復興碑も、あります。その碑は海岸道路の、漁港の入り口に立っています。宇佐ではかなり目立つ場所でしょうか。その「震災復興碑」はストリートビューでも見ることできて、その横に、碑文の内容などを紹介する説明板も確認できます。そう。昭和の震災復興碑は、その刻まれた内容を、いつでも誰でも読むことができるのでした。
その内容を転載しておきます。
発生日時:昭和21年12月21日午前4時20分
震源地:室戸岬南方140キロの海底 振幅47
惨状:天鳴り、地裂け、家倒れ、瓦飛び、驚いている間もなく、お年寄りや子どもは泣き叫んでいた。津波が入ること7・8度、特に3度目は高さ5メートルにおよび、前回から20分後に山麓に達した。
この後、被害状況が記され、どういう復旧が行われたかが書かれておる訳やけど、被害として「人の被害は死者行方不明者各1人のみで、往時から言い伝えられている『欲を棄てて逃れたものは命助かりし』と、犠牲者の僅少はこの戒めによる。」と書かれているのが、昨日の碑文につながっている訳です。
地震・津波の状況については、安政地震碑の方が詳しい。潮がまわりこんでくる描写とかね。ただ、あの碑文には、何度くらい津波が襲ったか、とか、津波までの具体的な時間がなかったけど、昭和のには、あります。
こういう説明板は、いい。なので、昨日のあの安政地震碑についても、ここにあるような説明板をぜひ、建てて欲しいね。遍路道沿いのあの場所と、そして昭和の地震碑が立つこの場所と、に。ここに、昭和と安政の地震津波の説明板があれば、宇佐の人にとってもわかりやすいし。
ご承知の通り、昭和の南海地震は、歴史上の南海地震の中でもかなり規模が小さいものでした。なので、来るべき次の南海地震の参考にすると、あぶない。
安政南海地震は、南海地震としては普通規模と言われてて、その前の宝永南海地震はかなり大きいものだった。
写真は、今朝の野市、上岡八幡宮さん参道入り口。左手に、安政地震の津波が、この西の物部川河原まで遡上してきたことを刻んだ地震碑。
宝永の際は、もっと遡上したことでしょう。
大切なのは、せっかく先人が残してくれた事実を知っておくこと。そして最新の知見と組み合わせ、考えること。対策を講じること。
それにしても爽やかな、朝。気持ちよく仕事を始めよう!