いつでも下島浜タワー〔7051〕2022/08/05
2022年8月5日(金)晴れ!
今が一年で一番暑い時期。高知では、よさこいが終わると朝晩涼しくなって夏もピークを過ぎると言われてますきんね。なので、今が、一番暑い。
今朝もこんな感じの夏空。ここは南国市下島浜。物部川河口の西側。江戸時代から明治22年までは香美郡下島村。明治22年からは三島村下島。昭和17年からは日章村下島。昭和31年からは香長村下島で、昭和34年から、南国市下島。所属はどんどん変遷しても、ずうっとここは、下島なのでした。しもじま。
その地名は、ここが、往古大湊湾の洲であったことに由来すると言います。物部川本流河口がここにあった時代、この界隈は大湊湾だった。この地形分類図見ても、なんとなく想像できる大湊湾。
で、その湾には洲が点在しており、下流にあった洲を下島と呼んだんだと推察されてるんですね。この近くで生まれ育ったのが、龍馬と同い年の土佐勤王党員で、「8月18日の政変」後に投獄され、拷問の末に亡くなった島村衛吉(しまむらえきち)さん。龍馬伝(もう、12年も前になります)で、投獄された武市半平太が、拷問される島村衛吉に「えきちー!」と叫ぶシーンは印象的だった。覚えてますか?もう12年も前なのか。ああ。
で。その下島浜につくられた津波避難タワーが、ここ。下島浜タワー。
こないだから幾度か、南国市の津波避難タワーの話を書いてきたけど、今日は下島浜タワー。海岸に近いこのタワーからの眺望は絶佳。目の前の太平洋が美しいね。避難タワーは、東500mのところにも、西400mのところにもあります。東の久枝南タワーが、この写真にも写ってます。この界隈には高台がないので、かなり多くの避難タワーが立てられています。
では、避難タワーがない時代、下島の人々は津波や洪水からどうやって逃げていたのかと言えば、命山。現在高知空港の滑走路になっている場所にあった室岡山、通称命山が、文字通り人々の命山だった。
今は、避難タワーが命のタワー。
南国市の避難タワーはいつでも誰でも上がれます。階段やスロープが開放されてて。どのタワーからの眺望がいいのか、比べてみたらいいね。もちろん本番で避難した際は眺望どころやないけど、普段から親しむには、眺望を比べてみるのも楽しいと思います。
このタワーの最上階は、海抜16.39m。地盤高が6.06mなので、10m以上の落差の階段かスロープを、上がる。
美しい海岸散歩して、この階段上がって太平洋を見晴らして。なかなかいい運動になるし、魂の洗濯もできるし、言うことないね。
かつての物部川河口近く、大湊湾の洲に聳える下島浜タワーからのにっこりひまわりでした。