田んぼと水と、蝉の声〔7025〕2022/07/10
2022年7月10日(日)晴れ!
暑いね。今日も夏空。クマゼミもワシャワシャ。夏やねー。
会社へ来てますが、本社棟の前の田んぼもこんな感じで、稲穂が頭を垂れ始めてます。これが黄金色になると、稲刈りだ。もう、高知平野は稲刈りが近い。夏やねー。
この田んぼの向こうには農業用水があって、水が滔々と流れています。今は、どこの用水も、清冽な水がたっぷりと流れてますね。この、アジアモンスーン気候なのかなんなのか知らんけど、温暖で雨が多い国ならではの光景。灌漑設備などが整備されている現代なので、よほどのことがない限り干害は起こらない。こないだ、中京の方で川床が漏水して大変なことになってたけど、ああいったことでも無い限り干害にはなりにくい、有難い国土で、僕らはお米食べながら暮らしています。
とは言え、こないだ台風がもたらした雨も、四国山地のダムを普段の姿に戻すことはできず、また、鮫裏ダムから香川用水への取水制限が始まってますね。水は命。水は大切。水あってのお米であり、日本人なのでありましょう。はやく新米食べたいね。
弥生時代、南四国最大級の集落が形成された、田村。高知空港の滑走路界隈の、物部川の自然堤防上に展開した集落。そこでは、物部川の水が引き込まれた田んぼで稲作が行われていました。弥生人の知恵で、どんな灌漑施設がつくられていたんだろう。
ただ、海に近い扇状地なので、洪水や津波の被害に遭いやすい土地ではありました。
気候の変遷で言えば、2世紀頃から冷涼化と降水量の増加があったと言います。降水量の増加は、洪水を引き起こしやすい。そういった条件下、人々は、洪水の発生しにくい土地へと移住し、生産空間と居住空間の分離、という状況が引き起こされたと言われてます。田村に住んでいた人々は、度重なる洪水や、ひょっとして津波からも身を守るために、扇状地ど真ん中から、そういった被害を受けにくい土地へと引っ越していったという歴史が想像できます。
今でも、洪水被害を受けやすい土地に良田が広がり、住環境は、段丘の上などの安全な土地というケースが多いのは、その頃に始まったもの。人口増加で、洪水被害が発生することを前提とした田んぼのエリアが開発されて住宅ができ、大規模な洪水被害が引き起こされているのはご承知の通り。いくら技術が進歩しても、大自然にはかなわない。
今日は、何も考えずにこのにっこりを書き始めました。書き始めたら、指が止まらんなってしまった。いつもにも増してのダラダラ文章にお付き合い下さいまして、ありがとうございます。さあ、夏の1日を始めよう!
まずは選挙選挙。